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□春迎花ひとひら
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急に日射しが暖かくなり始めて、確かもう一週間くらいになる。
どこを見てもうんざりするくらい積もってた雪も大半は消えて、そこかしこに若い緑がちらほらと見えている。
それにしても、今日はかなり天気がいい。硝子越しにそんな真っ青な空を見ていたら、埃っぽい自室に外の風を招き入れたくなって窓を開けた。
少し髪を揺らすくらいのそれはまだ冷たさを残してはいるものの、体をすり抜けていく感じが何とも心地いい。

「へぇ、随分と暖かくなったもんだ」
せっかくだし、後で部下たちと総出で鍛練でもしようか、なんて考えていたのも束の間。
決して大きくはないけれど、確かに廊下の床を伝って響く音。
少しずつ大きくなるそれはどかどかと乱暴に近付いてくる。
その正体が足音だと気付くのに大して時間は掛からず、ましてやその荒々しい音の発生源を予測することなどあまりに容易で。
…どうせ甘寧だ。絶対そうだ。

そういえば、あいつが急にふらっといなくなってからもう六日目になる。
後になって陸遜に聞いてみたら、
「甘寧殿には、近隣の異民族の制圧に行ってもらったんです。そんなに心配しなくても、すぐに帰ってきますよ」
と、変な誤解まで招かれた上に満面の笑顔で言われた。
心配なんて、冗談じゃない。
俺が心配しようがしなかろうが、どうせあいつはちょっと体に傷を作って、へらっとして帰ってくるんだ。
そんな奴のことを四六時中気にかけてたら身が持たない。
そこまで考えて思考を手放し、甘寧の登場を予想して溜め息を吐いた頃には、足音が目前まで迫ってくるのを感じた。
…あ、来る。



─バンッ!
「凌統!」
ほら、やっぱり。
見ると、凄まじい音を立てて開かれた扉の向こうには、ある意味期待を裏切らない登場をした甘寧が立っていた。
どうしてそんなに落ち着きが無いんだあんたは。
いい加減壊れるんじゃないか、俺の部屋の扉。
「凌統!見ろよこれ!」
「は?」
入ってきたかと思えば大声で何度も俺の名を呼ぶもんだから、何かと思って目を向ける。
最初に目に入ったのはビリビリに裂かれた布が適当に巻かれた左肩。少し血が滲んでる。やっぱり怪我をしたみたいだ。
次に目に入ったのは、反対の右手に握られたそれ。
いくつかの小さい切り傷を引っ提げた甘寧の右手には、顔に似合わない綺麗な桃色が揺れていた。
俺の思考回路を停止させるには充分すぎる異様なその光景に、上手く言葉が出てこない。
甘寧が握り締めていたのは、どこからどう見ても途中でぽっきりと折られた桃の花。
とは言っても、それらはまだ開ききっていなくて、色付いた蕾が形良く膨らんでいるだけで。

「それって、」
「帰ってくる時にすっげぇいっぱい咲いてるところがあってよ。お前に見せる為に持ってきてやったんだぜ?」
驚いただろ、と妙に得意そうな顔が笑う。
驚いたのは事実だが、俺が驚いたのはそこじゃない。甘寧が梅の枝を握り締めて帰ってきた光景を見て最初に俺が思ったのは、ここまで花が似合わない男がいるものだろうかってこと。
それに、瞬間的にどうしようもない哀れみを感じた。
まだ満足に花開いていないのに、よりによってこんなゴツい男の手に無惨に折られるなんて。

「まだ咲いてないだろ馬鹿。何でわざわざ折ってくるんだか…」
そう言ってから「しまった」と思った時にはもう遅く。一気に不機嫌そうになった顔がじりじりと近付いてくる。
何をされるのかと身構えて完全に防御体制になった俺の胸に、甘寧は梅の枝を握り締めた拳をぐっと押し付けてきた。意地でも受け取れという意味なんだろう。
まったく、子供みたいだ。
あからさまに、俺の花が受け取れないのかみたいな顔してさ。
でも、甘寧が言葉を濁したっきり何も言わないもんだから、俺は仕方なくそれを受け取った。

「ま、折角だから貰ってやるけどさ。水に挿して咲くのか、これ」
そもそも俺の部屋に花瓶なんてあったかな、と梅の蕾を眺めていたら、いきなり大きな手にがしがしと頭を撫でられて、一瞬固まる。
「な、何っ」
「お前、前に言ってただろ。冬が嫌いだってよ」
「へ?」
自分の口から出たとは思えない間抜けな声に、甘寧が鼻で笑う。
確かに、冬は嫌いだ。
寒いのが苦手なのは昔からだが、戦を知ってからはもっと嫌いになった。
雪に映える赤い血も、雪に吸い込まれていく死に際の声も、全部。
冬が、と言うよりは、単に雪が嫌いなだけかもしれない。
白が背景だとあまりにも全てが鮮やかすぎて、頭にこびりついて離れなくなる。
でも、どうして。
例え俺が甘寧の前でそのことを言ってたんだとしても、それが梅を折る理由になるのか。

「甘寧、」
俺たちが奪うのは、
「あんたは、花の命まで奪わなくていいから」
人の命だけでいいんだ。
一瞬驚いたような顔をした甘寧は「あぁ、そうだな」とだけ言って扉に向かう。
どこに行くのかと声が喉まで出掛けて、「包帯貰いに行ってくる」と先を越された。

待て。その背中がこの部屋からいなくなる前に。
言いたいことも、聞きたいこともまだあるんだ。
「甘寧、」
今回の戦はどうだったとか、傷は大丈夫なのかとか、ちゃんと消毒して貰ってこいよとか、梅はどこに咲いてたんだとか。たくさんあるんだ。
「あ?何だよ」
「その…いや、わりぃ、…ありがとな」
「へへっ、おうよ」
結局、口から出たのは馬鹿馬鹿しいくらい単純な言葉。
それでも、ちゃんと最後まで聞いてくれて、いつもみたいににかっと笑ってくれるあんたがいる。
そんなあんたが、やっぱり俺は好きなんだ。そんなことがふと頭をよぎる。
「すぐ来るからよ、ちゃんと花瓶探しとけよな」
「はいはい、分かってるって」
柄にもなく機嫌が良さそうな背中が扉の向こうに消えるのを、最後まで目で追った。

さて、俺はどこかで埃を被ってる花瓶でも探そうか。



春迎花ひとひら



あんたがくれた小さな春は、
すぐそこに。




〜終〜
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