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□嘘とかそんなの関係なしに
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春になり始め、冬に僅かながら降った雪も殆ど溶けた。その証拠に多少地面が湿っている。最近戦もなく、陽気に浮かれたように孫呉は平和な日々を送っていた。
そんな天気の良い日の、昼下がり。
そんな陽気とは反対に、しんと静まりかえった部屋が一つ。その中にいるのは孫呉の将、甘寧と凌統だ。
「……お前、それどういうことだよ」
二人とも至極深刻そうな顔をしている。特に甘寧の方は眉間に皺まで寄せて困惑した表情だ。
「そのまんまさ。俺はあと一週間しか生きられないんだ」
先程凌統が甘寧に告げた言葉……それは“あと一週間で俺は死ぬ”。
「俺、医者に病だって言われたんだ。それも、末期のね」
もはや諦めたような顔をして前髪をかきあげる。そのまま椅子に腰を下ろした。
「余命一週間だって。……ははっ、笑っちまうよな」
「笑えねえよ!!」
甘寧が声を荒げて傍にあった卓上を拳で殴る。みし、と嫌な音がして今にも壊れそうだ。
実はこの余命一週間というのは完全な嘘である。
凌統は今日は嘘をついても良い日だということを耳にし、甘寧に嘘をついてみたのだ。
それにしては少し重い内容だったか。甘寧はすっかり信じきっている。
流石にこれ以上はまずいかと思い、凌統は本当のことを言う。否、言おうとした。
「甘寧、実はこれうそ――」
「分かった」
「は?」
何が分かったのか。腕を組んで暫し考えこんでいる甘寧を凝視して、凌統はぽかんと口を開けた。
「お前の残りの一週間。俺が悔いのないようにしてやる」
……この男は本当の馬鹿か。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでだったとは。凌統は呆気に取られて、穴が開く程先程よりも甘寧を凝視した。呆気に取られたというより、寧ろ呆れたといったところか。
「何かやりたいことあるか?」
そんなこと急に訊かれても答えられる筈がない。しかも、嘘だと伝える機会を完全に逃してしまった。
ここまで信じきってしまっていると、逆に本当のことが言えない。可哀想だし、何より言った時の反応が怖い。
凌統がなかなか答えないからか、甘寧は自分から口を開いた。
「じゃあ、河に行こうぜ」
何て単純な男だ。凌統は反論する暇もなく、河に連れていかれた。
「おー、すげえ良い天気だな」
大陽の光できらきらと光る水面を見ながら、甘寧は歓喜の声を上げた。
正直凌統はもう面倒くさがっている。楽しければ良いか、と。
「これが多分……最後だぜ」
この光景を見るのは。
いやいや嘘なので実際はこれからも見れるのだが。
「う、わっ」
「船いこうぜ船!」
いきなり腕を引かれて吃驚した。そしてそのまま走り出す。
……まあ、甘寧がこれでいいんならいっか。
後で大変なことになるのも知らずに。
「すげー……」
船で沖に出ると、予想以上に綺麗だった。空が、海が。
清々しい程蒼くて。微かに残っている冬の寒さも忘れるくらいに。こんな綺麗なものが見れるのなら、嘘をついてもいいかなと思ってしまうくらいに。
「な? 来て良かったろ」
喜ぶ様子の凌統を見て嬉しそうに言う甘寧。その純粋な笑顔を見ていると、胸が痛む。
本当にこのままで良いのか? こんな天気の良い日でないと見れないようなものを目にすることが出来たが、嘘をついたままで良いのか? 今日限りだとしても……。
「あのさ、甘寧」
「あ?」
言わなくてはいけない。本当のことを。でなければきっと後悔するだろう。
口を開く。
「末期の重病だっての……あれ嘘なんだ」
最初から嘘をついてみようなんて、考えるんじゃなかった。そうしたら、こんなに悩んだり後ろめたさを感じることはなかった。
そう逡巡すると同時に、頬を思い切り殴られていた。
一瞬よろめいたが、甲板の柱に掴まることが出来た。
「どんな理由であってもなあ、俺は嘘をつく奴は大嫌いだ!」
本日二回目の怒鳴り。こんなに激怒する彼は、初めて見た気がする。
自然と甘寧が視界から消える。
殴られた頬がひりひりと痛んだ。腫れたらどうしてくれよう。もしかしたら口の中も切れているかもしれない。僅かに血の味がする。
……それだけ考えていられる分、まともか。
本当のことを言ったことに後悔はしていない。ただ嘘をついたことに後悔しているだけだ。
“大嫌い”。甘寧からは初めて言われたかもしれない。そしてそれに衝撃を受けている自分がいる。
「……」
不意に、周りに広がる蒼い水面が目に移った。
「泳いで帰ろうかな」
甲板の端に近寄る。もう一歩脚を踏み出せば落ちそうだ。
「お前何やってんだよっ」
急いで走ってくる足音がした。
「甘寧」
「入水自殺でもするつもりかっ!」
「自殺っ? そんなことする訳ないでしょうが。俺は泳いで帰ろうと」
「阿呆か!」
また怒鳴られた。だが恐い顔をしていた甘寧だったが、一瞬のうちに穏やかになった。
「大嫌いって言ったの、嘘だぜ」
頭に手をぽん、と乗せられた。自分の方が背が高い筈なのに、と変な気分になる。
何か一本とられた気がして、凌統は悔しさを感じていた。
終
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