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□冷気を凌ぐ
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甘寧は曲がった後、こちらに背を向ける筈だ。恐らく、自分の存在には気が付かない。そこを後ろから背中をぶっ叩くなりして驚かしてやろう。

(我ながら、なんて子供っぽい考えだろうねえ……)

そう思うも、口元に浮かぶ笑みは消せなかった。

しかし、その計画は見事に失敗する。

「お、凌統」

彼らは……つまり甘寧は鍛錬場の方向に向かわず、こちら側に来たのだ。これは意外だった。
まさか待ち伏せしていたとも言えず、そう思われないためにも慌てて壁から背中を離した。

一緒にいた女官は凌統に向かって、何故か慌てたようにペコリと頭を下げる。それに応えるようにこちらも彼女に微笑んでみせた。

「…あんた何してんの?」
「あー、それが…こいつがな――いや、何でもねえ」

こいつ、というのは隣にいる女官のことを指すらしい。
珍しく甘寧は言いにくそうに言葉を濁らせた。難しい顔をしながら。

その様子を見て、何故か気分が悪くなった。

「ふうん……ま、俺には関係ないけどね」

自分に言えないようなことなのだろうか。初めから何でもないと言われるよりも言いかけて止められる方が余計気になる。しかし凌統は詮索しようとはせず、己の声音に不機嫌が滲み出ないように注意しながらそう呟いた。

「遅れないで早く来なよ。…待ってるから」

意識したつもりは全くないのに、“待ってるから”を強調したようになってしまった。若干違和感を感じただろうかと些か後悔しながら、組んだ腕を解く。

「おう、すぐ行く」

本当にすぐ来るのだろうか。
一緒にいる女官の存在がやけに気になって仕方がない。しかしそれを振り払うように再び鍛錬場に向かって歩き出した。
後ろは振り向かない。振り向きたくなかった。





(……何で来ない)

鍛錬場の脇の壁に背中を預けながら、幾度目かの疑問を胸の内で呟いた。

約束をした筈なのに、甘寧がなかなか来ないのだ。
実際凌統が鍛錬場に到着してから十分程しか経過していないのだが、今の彼にとっては長い。待つ時間は長く感じるものだが、意識しているせいもあるのかもしれない。

……あの女官を。

(あー、嫌だねえ)

まさか、とは思うがそのようなことを考えている自分に嫌気が差した。女でもあるまいし。

これは俗に言う、“嫉妬”という感情なのではないか。
もし甘寧とあの女官が……なんてことを考えると胸がチクリと痛んだ。考えたくはないのに、無意識に考えてしまう。

そんな筈はない、と自分に言い聞かせるように復唱してみるが……あの男の性格を考えるとそうとも言えなくなってきた。疑うのは悪いことだと分かっている。信じなければならないのに。

醜い感情だ。
自分を嘲笑う。寒さも気にならない。

「…くそ」

手で己の顔を覆った。何だか、前を見ていたくない。視界に何もいれたくない。

「よぉ、待たせたな」
「!」

甘寧が入り口からゆっくりとこちらに歩み寄って来た。何ともない、普段の調子で。


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