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□日常と非日常
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「凌統! あなた暇そうね」
建業の城の廊下。後ろから声がして振り向いてみると、案の定それは満面の笑みを顔に浮かべた姫さんだった。隣に大喬さんと小喬さんを連れて。
嫌な予感がする……。
何の用なのかは大体検討がついた。俺は以前にもこの用事で駆り出されたことが何回かあった。
「ちょっと買い物に付き合って欲しいんだけど……やあね、そんな顔しないでよ」
「そりゃ嫌にもなりますよ、ただ荷物持ちにされるだけじゃないですか!」
そう、無理やり城下に連れ出されて彼女たちの買った物を持たされるだけだ。最初に荷物持ちにされた時は何か褒美が出るのか、と思ったけどそれも無かった。つまり、タダ働きってわけ。
「俺は結構暇じゃないんです、他の人に言って下さいよ。甘寧とか……執務もろくにやんないじゃないですか」
態とらしくため息をつく。だけどそんなんで誤魔化される人じゃない、弓腰姫孫尚香は。
「あー駄目よ甘寧は。あの人全然乙女の心分かってないもの」
「じゃあ俺は分かってるってことですか……?」
どういう基準なんだろう。
「他の人はすっごく忙しいし……それにどうしても男手が必要なのよ! 女の子に重い荷物を持たせるのは酷でしょう?」
「だから俺暇じゃないって」
「一生のお願いよ、凌統!」
あんたの一生のお願いは何回あるんですか。
無礼にも冷たい視線をくれてやると、姫さんは両の手のひらを合わせてこちらを見ていた。二喬のお二人に視線をやると大喬さんは苦笑、小喬さんは楽しそうな顔をしていた。
……あーもう、仕方ない。どうせ断っても強制連行されるに決まっている。前回はそうだった。
我ながら諦めが早いとも思う。
「分かりましたよ、今回も付き合ってあげます」
結局押しに負けたのは俺の方だ。
「やった! ありがとう凌統」
姫さんがにこりと微笑む。多分俺の顔はそれと対照的にぐったりとしているんだろう。
その日の午後、俺は人が賑わう城下へと三人に連れ出される。
「今日はありがとう凌統、助かったわ」
「すみません凌統さん、こんなに荷物を持たせてしまって……」
「大変だね〜凌統ちゃん、大丈夫?」
「あのー……、少しでもそう思ってんなら一つくらい持って欲しいんですけど?」
言葉の割には感謝がよく伝わらない。
俺は服やら髪飾りやら両手いっぱいに持たされている。歩き辛いったらない。
恨めしそうに後ろ姿を睨んでもそんなことも気にせず、姫さん方は悠々と俺の前を歩いている。一体何様のつもりか。……いや、君主の妹君とその兄たちの奥方だった、そういえば。
「今回はいつもよりも長かったし量も多いから、特別にご褒美を上げるわ」
「は?」
俺はその言葉を聞いて驚いた。いつもは特に感謝もされないのに(ありがとう、という言葉はあったが)今回は何か褒美が下るらしい。
甘いものに目がない俺は、甘味がいいなあ、なんて思っていたりしたが。
帰りに立ち寄った場所は茶屋ではなく、……服屋だった。
それも女物の。
「また買うんですか!? もうこれ以上持てませんよっ?」
「そうじゃないわ、凌統」
そう言って姫さんは妖しくニヤリと笑んだ。
何か嫌な予感がする……。
「あなたに着せるのよ。さあ行きましょう」
「わーい凌統ちゃんの女装だあっ!」
「すみません凌統さん…」
……やっぱりだ。
まあ、ロクに期待はしていなかった。
二人は完璧に面白がっているが大喬さんは謝ってばかりだ。なんか天使に見えてくる。
俺が感動していると姫さんは腕をグイグイ引いて中に入って行く。荷物で一杯な故にマトモな抵抗も出来ずに俺は店内に連れて行かれてしまった。
「すみませーん」
「いらっしゃいませ。本日は何をお求めでしょう?」
「この人に似合う服を試着させたいの」
姫さんが店員の子に声を掛けてそう言うと、その子は躊躇いがちに俺を見上げる。彼女の顔が引きつっているのは決して気のせいじゃない。
…ああ、最悪だ。
「えっと…こちらの殿方ですか?」
「ええ、そうよ」
「いい加減にして下さいよ!? 俺、絶対に女装なんかしませんからっ!」
男の女装なんか気持ち悪いだけに決まっている。だいたいこんなに身長の高い女なんか居るもんか。
軍師殿だったらいくらかは似合うんだろうけど、俺に女装をやらせるだなんて姫さんはどうかしている。
「あら。あなたに拒否権はないのよ、凌統? 今日一日、手伝ってくれるって言ったじゃない」
「これは手伝いじゃないですよ! しかもさっきご褒美をくれるって言ったのは嘘ですかっ?」
「やあねぇ凌統。あんな言葉信じたの? 嘘に決まってるじゃない。ほんと騙されやすいわね〜」
「…………」
どうしよう。一発殴って差し上げたい。
相手が君主の妹だとか、女性だとかは関係なく、俺の頭には物騒な考えが浮かんでいた。
この人は――悪魔だ。
「さぁ凌統、早く」
姫さんのどこまでも強引な態度に気圧されたのか店員の子はビクビクしながら女性物の衣服を持って来る。俺がそれを目にしながら生気まで抜けて行きそうな程深い溜め息を吐くと、背中を姫さんに押されて試着室へと連行された。
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