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□ほかに何を捧げれば気がすむのですか?
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空は泣いていた。少年は不機嫌に宙 を睨み上げて、灰色を映した紅へその 憤怒を宿した。

あの日と同じ雨の下で、ザンザスは小 さな小さな銀色を握り締めていた。身 体
を伝う水が徐々に体温を奪っていく 感覚を、どこか自分のことで無いよう な遠くに弄びながら、吐いた息は少し の酸素を世界から奪って消えていっ た。ザンザスは中途半端に濡れた黒髪を かきあげて、今自分が来た道へ残る足 跡を睨む。不機嫌に閉じた瞼の裏へ浮 かぶのは煌めく銀色の男。あの日に灰 色だった景色を虹色に染め上げた奴 は、同時にザンザスの掌で違和の存在を 主張するそれを投げ付けてやる相手で もあった。鮮やかな世界はしかし、そ の色彩の中へ銀色を紛れ込ませて隠し てしまった。もうすぐ今日は終わって しまうというのに、雨は止まないどこ ろか更に激しく降り始めたようであ る。 奴に捧げられた愛は計り知れない程で あった。反吐が出る、無償の愛など。 最初はそう思って、使い捨てにしてや ろうと目論んでいたこともある。

「…おい、スクアーロ」

それがいつの間にか覆され揺さぶられ て、吐き出したのは唯唯純粋な、真っ 直ぐでそれでいてひねくれ曲がった愛 の言葉だった。

「てめえの人生、俺に預けろ」

何を今更、んなもんとっくにお前のも んだろと傲慢に笑んだ男に、回りくど い文句は本来の意味を捉えて貰えず空 気へ溶けた。鈍いのは知っていた。恐 らく理解しないで笑うことも予想の範 疇であった。 だから、予め用意しておいた紙切れを 鼻先に突き付けてやった。己にこれだ け準備に手間を掛けさせるのは目の前 の男だけであり、それを少なからず悪 く思っていない自分もまた事実であっ た。 丸く見開かれた銀灰色に戸惑いが揺れ るのを見た。わななく唇が何かを紡ご うとして何度も開いたり閉じたりする 様は、餌を求める金魚のようで思わず 薄いそれに噛み付きたくなった。一瞬 泣きそうに顔を歪めた男は、ザンザスの 紅から逃れるようにじりと後退りし て、踵を返したかと思うと駆け出して 行ってしまった。小さくなっていく背 中をぼんやり見つめながら、ザンザスは あからさまに舌打ちをした。いつもこ うだ。優しくされたり、捧げられた り、愛されたりすることに奴は慣れて いない。優しくするのも、捧げるの も、愛すことも、奴はいつだって当然 のようにやってのけるのに。それを享 受するだけ享受したザンザスは、今度は 返してやろうかと漸く重たい腰を上げ たのだ。様々な葛藤は彼の多大なる足 枷になったけれど、それを振り切った ザンザスは強かった。重厚なブーツの足音 を城の廊下へ響かせ、ザンザスが歩く。 外界は太陽を隠す暑い雲のせいで、薄 暗く静まり返っていた。

静寂の世界に小さな音で細い雨が注 がれた。泣いた空にしかし城を囲う深 い森は無視を決め込んで、緑に跳ね返 る滴に映り込む紅は不機嫌を露にしな がら森を進んでいく。ザンザスが探して いる男は、この先に居るはずだった。 森の奥まった所にある、奴お気に入り の場所。深い緑の針葉樹に囲まれた其 処は、ザンザスでも滅多に足を踏み入れ ない奴の聖域だった。超直感に教わら ずとも察しが付く。彼処しかない。奴 が1人で居るのは単独任務の任務先か自 室かその聖域だけだ。進むに連れ濃く なる緑。比例して強くなる森独特の 香。その中に紛れて淡く、嗅ぎ慣れた 匂いを感じて、まるで犬のようだと自 嘲してみた。

「鮫ってのは匂うもんなんだな」

背後に忍び寄った訳でも、気配を殺し ていた訳でも無い。唯、雨に打たれる 男の姿が余りにも儚くて、そのまま消 えてしまいそうで、この世界に縫い留 めたくなっただけだった。背中から抱 き締めた細い体躯が強張るのを感じ て、ザンザスは眉をひそめた。こいつは 全く、元から弱いその頭で無理に考え ようとするからショートするのだ。考えず とも答えはとおに出ているだろうに。

「逃げんじゃねぇ、」

未だ動かない銀を背後から先に制して 逃道を塞いでやった。銀を求めて歩き 回る間の焦燥感にも似た正体不明の何 かは、お世辞にももう一度味わいたい と言えた代物では無かった。

「…本気かぁ」

酷く掠れて大人しい声で訊くものだか ら、ザンザスは背中にヒヤリとしたものが通 り抜けるのを感じた。それを無理矢理 雨のせいにして、ザンザスは知らぬふり をした。

「本気だ」

腕の中の男が小さく身動ぎして拘束か ら逃れようとする。ザンザスは細い身体 から腕を離してやって、男が此方を振 り向くのを待った。 「俺でいいのかよぉ、」

もう殆んど泣いているような震える声 を、眉間に皺を寄せることで必死に堪 えながら、奴はそう言った。己の隣を 許した男はこんなに馬鹿で鈍感だった だろうか。こんなに1人の人間に入れ込 んだのは初めてだった。こんなに愛さ れていると感じたことも無かった。自 分に捧げられた居心地の良い感情の分 だけ、返してやるつもりでいるのだ。 だから。

「当たり前だ、カス」

啄むような口付けはとうとう奴の涙腺 を崩壊させたらしかった。すがるよう に肩口へ顔を預けられ、静かに身体を 震わせる男をそっと、壊れ物を扱うよ うに抱き締めてやる。泣くんじゃねぇ 気色悪ぃと愚痴ったら、泣いてねぇな んて一応の反論は返ってきたけれど、 その声はやっぱり掠れていた。

ほかに何を捧げれば気がすむのです か? (捧げられて受け取った分、) (返せるほど素直では無いから)

(だからいっそ総て奪ってしまおうか)

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