時折の馬鹿話、真剣な仕事の話、愚痴やら溜め息やらーーー共有する間に互いの隙間が少しずつ狭まっていく感覚が少し歯痒い。
 そんなことを考える、日付も跨いだ真夜中の執務室。




【いつも通りの日常を】




 士官二人で根を詰めて絶望的とも言える書類の量を抱えながら、互いが無言になることはなかった。無論、作業速度や効率性を考慮すると上唇と下唇を糸で縫い付けた方が間違いないのだろうが、それ以上に時間を共有しているこの今を何も言葉を交わさずに過ごしてしまうことが勿体なくて、ついつい他愛もないことで声を掛けてしまう。
 現在があるということは、最悪の出会い方を考えるに奇跡と例えても問題ないーーー最初の入りは不味かったな、という後悔も喉元過ぎれば何とやら。
 冗談を言い合うような間柄ではなかったし、況してや揶揄したり、時折共に酒を飲んだりするようになるとは、当時の自分には予想も出来ない事態だったろう。
 頑なに敬語を貫き通す姿勢に変化はないが、その言葉尻や声の感覚が自分達が親しくなったという事実を雄弁に語ってくれている。


「おー…もうこんな時間か。どうする、上がるか?」

「もう少し、と言いたいところですが…これ以上残っても終わりが見えませんよ」

「はは、同感だ。じゃ、ぼちぼち帰ろうぜ」


 珍しく根を上げた事務処理の達人が一伸びすると、身体から骨の軋む音が上がった。常時開いてるのか閉じているのか判別がつかないと揶揄する眼を軽くほぐし、見上げたところで疲労感しか感じないであろう時計に一瞥をくれる。
 全くーーー尻に根でも張っているのかと思うほど長い時間を過ごした。灰皿の煙草は我ながら驚愕する量で、日頃臭いなど気にしない、寧ろ気付かない自分自身でも分かるほど、室内に煙草の臭気が満ちていた。
 朝一発目に来るのは中尉の説教と見たーーー冗談めかした言葉に、小さな苦笑いが返る。


「だから窓を開けて下さいと言ったのに」

「煙草吸う度に窓まで行ってたら仕事が進まんよ」

「そのうち全面禁煙になるでしょうね」


 施錠を確認し灯りを落とせば、漸く無人になった執務室に静寂が訪れる。庁舎の管理経費も馬鹿にならないと、管理課の同期がぼやいていたのをふと思い出す。無論、夜間の暖房など期待してはいけないーーー事実、先程まで居た執務室は足先が凍るほど寒かった。
 冬が足早に近づいているのを感じる。一年という時間が巡るのは存外に早いもので、こうして肩を並べて帰路につくことにも違和感を感じなくなった。
 随分と近い距離感に戸惑いを覚えるより早く、この状況に馴染んでしまったからだろうか。過程をすっ飛ばして、今ふとそんなことを考える。そんな自分が可笑しくて、ふっと笑い声を溢すと隣から怪訝な表情を向けられた。


「どうかしました?」

「いいや、何だかなぁ。何だかんだ愚痴をいいながらも、俺はここが好きなんだな、って思ってよ」


 職など選ばなければ山ほどあるだろうし、より高い報酬を得ようと思うならば今の職でなくてもいいはずだ。それでも、薄給だろうが休日がなかろうが、現状以上の居場所を見出だせないでいる。
 他に代えようがないものが、ここには確かに存在しているからか。いってしまえば、それは人そのものだ。他では得られない、何物にも代替できない見えない成果物。
 それを手離すことなど出来ない、互いに壮年になったとしても、同じ様に肩を並べて帰路につき、時には酒を酌み交わしたいーーーこれは、願いでもあるのだろう。


「大佐と中尉…ブレダや曹長やーーーお前が居るからな。多分、他じゃ満足できねぇよ」

「…それは、私も同じですよ」

「今後、転属や異動がないとは言い切れねぇけどさーーー」


 最悪の出会いから如何程の時間が経過したろう。少しずつ距離が狭まって、今では世間話でも笑いが溢れる間柄になった。
休日はたまに一緒に出掛けたり、時には寄宿舎で泥酔して一夜を過ごすこともある。
 小難しい本に熱中する横顔を盗み見ながら、互いに無言で過ごす時間があったとしても、もうこの関係なしには満足出来ないのかもしれない。
 出来れば、自分だけではなく相手もそう思っていて欲しいものだ。


「今後、お前さんがどっか別の場所に行ったとしても、今よりいい場所なんてないって、そう思えるようにしてやるからな」


 寒さで血行が良くなった顔が、一瞬呆気に取られたような表情になった。しかし、直ぐに平常の穏やかさを取り戻す。
 言葉に言葉は返らないーーーその代わり、誰も見たことがないような極上の微笑みが返る。それが答えなのだろう。


「…さぁて、帰ろうぜ。また数時間後には再会するわけだしな」

「…ええ、行きましょう」


 煙草が切れていることも忘れて、すっかり寝静まった街を歩く。星が明るいな、何てどうでもいいことを呟けばーーー吊られるように空を仰ぐ。
 その横顔が少し嬉しそうだったのは、自分の勘違いなのかもしれない。



fin


拍手ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。



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