短編3

□LAST DAYBREAK
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耳障りな機械音が部屋に響き渡っている。こうして髪を乾かしてやったことは前にも何度かあって、その度にこの形の良い頭や白いうなじや酔って赤みを帯びた耳朶なんかを心底愛しいなと思いながら穴の空くほど見詰めるのが決まりになっていた。


「起きてる?」
「んーー」


二人で毛足の長いラグの上に座り、こうして何を話すわけでもなく葵の髪に触れている時間が、本当に好きだ。一分でも一秒でもこの時が続けば良いのに。髪はもうすっかり乾いているというのに馬鹿な俺は念入りに何度も何度も乾いた箇所に温風を当てながら、その滑らかな髪の感触を指先に刻み付けている。


「はい、良いよ」


結局の所自分が何をしたいのかなんて俺自身よく分からない。
葵への特別な感情を実感してしまった以上湧き上がる思いは止められないし、葵も同じ気持ちを向けてくれたらと望む気持ちもある。だけどもし仮に葵が俺を好きになってくれたとして、恋人として付き合いたいかと言われれば首を傾げてしまうのだ。若い時からずっと一緒に居て家族同然でここまでやって来た仲間だから、改めて付き合うなんて事を想像する事が出来ない。出来ないし、望んでるわけではないと思う。ただ、純粋に葵が好きなだけ。とは言いつつ恋人がするように触れたいと思うのだから自分の願望は矛盾していると思う。想像出来ないだけでやっぱり恋人になりたいのかもしれないし、自分の気持ちが自分でもよく分からないのだ。


「なぁ」
「え?」


ドライヤーの電源を切ってコンセントを抜くと、突然振り返った葵は俺の膝に座って首に手を回して来た。あまりに突然の事過ぎて押し退けるのも忘れて、じっと見詰めて来る目に視線を奪われる。
ドライヤーが鈍い音を立てて手から滑り落ち、妙な静けさが二人の間に広がった。半ば無意識に何、と短く聞くと目の前の男は間髪入れずに「麗って付き合ってる奴いるの?」と首を傾げた。


「そんなの、いないよ」


酔っているのか酔っていないのか、全く意味合いの分からない質問に体が妙に強張った。ただ見詰められているだけなのにどうして呼吸まで支配されてしまったように息が詰まるのだろう。


「じゃあ好きな奴は?」


間近にある顔からは酒気を帯びた呼気が漏れていた。普段なら絶対こんな質問に真面目に答えたりしないのに軽口を叩く口とは裏腹に真剣な眼差しが向けられていることに気が付いていたから、つい誘導されるように口を開いてしまう。だけどそこで僅かながらに理性は残ってはいないかと何かに縋ろうとしてしまう辺り、俺はただの臆病者なのかもしれない。結果、様々な事が頭の中を巡っただけで俺の口は何の言葉も発してくれはしなかった。
そして一方の葵はそんな様子の俺を見て深く溜め息をつき、まるでお前の考えていることなど全てお見通しだと言わんばかりに「臆病者」と小さく吐き捨てた。


「お前そんなキャラだったっけ」
「そんなって?」
「ウジウジキャラ」
「は、ちげーよ馬鹿」


あっそう。


口元を歪ませて嘲笑交じりに言った言葉の直後、二人の唇は重なっていた。
息が止まってしまいそうだった。目を瞑るのも忘れて、葵から与えられる情熱的な口づけをただただ傍受していた。熱の籠った舌が唇の間を割って入って咥内を好き勝手に蠢いていても何のアクションも起こせない。自分の鼓動の音が耳の奥で煩いくらいに鳴り響いている。全身から汗が噴き出て身体に力が入らない。一体何が起きたのだろうとパニック状態になっていると、ゆっくりと唇が離れ至近距離にあった黒目がちな瞳と視線が絡まった。



「ちょ…!」


その瞬間何かの箍が外れてしまった。てっきり悪戯っぽい表情をしていると思っていた。この口づけには然したる意味はなく、単に俺をからかっているだけなのだと思ったのだ。


「麗、ちょっと待てって、」
「誘ったのはそっちでしょ」


だけど俺をじっと見上げた瞳は、何とも言えない不安の色を覗かせていた。そしてその瞳は確実にこの口づけの意味を俺に求めていた。あそこで酔っ払いの悪ふざけだと俺が流してしまえばきっと葵もそのまま酔っ払いのフリをしていただろう。だけど俺には到底そんな真似は出来なかった。この先どんなことになるかなんて想像も出来ないけれど、それでも葵から与えられた一種の告白をなかったことになど出来る訳がない。


「葵、好き」


ずっと欲しかった。


「……俺も、」


この心と身体と、葵の全部が。
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