短編3

□N.I.G.T 2
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唇に触れる暖かい感触で夢の深淵からこちらの世界との際にまで意識が戻りつつあった。


「ん、」


断続的に降ってくるその感触はとても心地がよかった。何年ももうこんなことはなかったけど、確かに知っている感触だった。


これはなんだっけ、


その正体を確かめたくなって重い瞼を半ば無意識に開けると、暗がりの中ぼんやりと一つの影が自分に落ちているのが分かった。
眼前にあるのは見慣れた天井、ではなく、同じ様に熱を持った人の肌だと認識した瞬間、あまりの驚きと何とも言えない恐怖感で全身の毛が足先から脳天まで逆立つ様に電気が走った。


「っ、んーーッ!」


咄嗟にその熱を遠ざけようと両手を出して抵抗を試みたものの、どちらが早かったか頭を両手で固定されて次の瞬間には薄く開いた唇の隙間からぬるりとしたものが侵入してきた。それが舌だと分かると、反射的に眼を瞑ってしまう。さっきまでは呑気とも言える夢を見ていて一切の現実を忘れていたというのに、突然襲ってきたリアルな感覚に今なにが起きているのか、現実なのか、まだ夢なのかも分からず一人でパニックを起こす。

瞬間、昨夜麗が機材を届けに来てくれたことやルキと電話したこと、そして、ルキが突然部屋にやってきてここに泊まると言い出したことを思い出して全身から嫌な汗が吹き出した。


そうだ、今この家には俺と、ルキしか居ない。


「は、…やめ、ッ…」


全ての感覚が明確に現実味を帯びて頭が冴えわたると同時に思い切り腕に力を入れてのしかかる体重を押し上げると、いとも簡単に拘束から逃れることができた。大変な状況のはずなのに火事場の馬鹿力ってこんな感じかななんてどうでもいい事を考えながら、こちらをじっとみる影に向き合うように上体を起こす。


「ルキ、お前何してんの、」


悪ふざけにしてはやりすぎ、戯けてそう言うつもりだったのに眼の前にいるルキの目や雰囲気がそれをできなくさせた。ゆるくパーマの掛かった髪から覗く瞳は、ふざけていてもない、かと言って反省するでもない、まるで少しでもこちらが隙を見せたら取って食われてしまうのではないかと思うほどにギラギラと光っていた。


自分の心臓の音で耳の奥が反響している。


「葵、俺お前が好きだ」


そう言われて、気が付いたら抱きしめられていた。ルキ、反射的にそう声を掛けたら、目の前の男は切羽詰まったような声で好き、お願いだから拒絶しないで、と耳元で囁いた。


ルキの俺への態度は日に日に露骨になっていて、最近ではそれは俺の願いとは裏腹に確信めいていた。まさかこんな風にハッキリと告げられる日が来るなんて思わなかったし、ルキの性格上本当に俺が困る事はしないんじゃないかなんていう変な驕りがあったから見て見ぬ振りして来てしまった。


メンバーで、家族よりも時間を共有して来た男相手に、好きとか嫌いとか、俺はそんな答えを出さなくてはいけないのだろうか?そんな感情を超越したところに既に居るのに、そんな感情論で何かを言うのも違う気がして、何て言ったらいいか分からずただ沈黙してしまった。今までの関係性が変わってしまうことが何よりも怖い。ただ自分の心臓の音だけがドクンドクンと部屋に鳴り響いている感じがした。


「俺、お前の事ずっと好きだったけど別に粘着してなかったし、ただそれだけだった。付き合いたいかって聞かれると今でも分かんねーし、俺はただあんたを可愛がって、あんたも俺に懐いてくれればそれが心地いいって感じで。ただ特別になりたかったんだよね多分」


抱きしめられたまま伝えられた告白はあまりにも質素で簡潔。だけどルキらしいストレートな言葉で、それはどんな甘い言葉をささやかれるよりも胸に突き刺さった。


「最初はただ優しくして可愛がってれば俺も満足だったんだけど。状況が変わって、なら引き下がれば良いって話なのになんの意地か知らねーけど自分でもどうしても譲れなくて。結局粘着してんの」


状況が変わって、


何の状況が変わったというんだろう。
何がルキを突き動かしているのだろう。今までの事を思い出して麗の顔がよぎっても、自分と麗の関係性など見いだせるはずもなく、混乱した。もしかしたら麗はルキの気持ちに気付いていてバンドや俺の立場を考えて牽制でもしていたのだろうか。だとするとここ最近のルキと麗の間の妙な空気感も辻褄が合うかもしれない。


「ルキ、俺ちょっとだけ気付いてた、ごめん、」
「うん。気付かせるようにしてたから」
「勝手なこと言うけど、ルキの隣は居心地よくて、恋愛感情とかじゃなく、純粋に俺を思ってくれてると思ったら正直嬉しかった」
「うん」
「でも、これで何かの関係性が壊れたらって思ったらぶっちゃけ怖くて、…それは本音」
「………何かの関係性ね」


俺と麗の、だろ。
といとも簡単に答えを出されて、思わず口ごもる。本人の口からハッキリと出るのだから、やはり何かあるのだろう。昨日聞いた時は何もないと言っていたから追及できなかったけど、嘘をついていることくらい分かっていた。


「大丈夫」


そういって体を引き離されて見つめた顔は、心底俺を愛おしそうに見つめて、微笑んで、頭を撫でた。
俺はそれがとても恥ずかしくて、手を払って顔を背けた。


「よくわかんねーけど、お前が俺を好きってのは分かった。でも、女にするみたいにすんのはやめろ。なんていうか…」


恥ずかしいし、今までルキをそんな風に見て来なかったのに、まるで女といる時のプライベートな姿を見ているような変な気持ちになって居た堪れない。


「それは無理」
「なんで、」
「もう好きって伝えたから」
「は、」
「さっきも言ったけど、付き合うためとかじゃなくて本音伝えることが一番の目的だから何かの答えを出そうとしたり、葵は心配しなくて良いよ」


何かの答えを求められているわけではない、ということに責任逃れかもしれないけど少し安堵した。じゃあ伝えて、その後は何を望んでいるのかと言葉の続きを待っていると、急に後ろに押し倒されてまたマウンティング。


「俺ずっとあんたに優しくして来たじゃん」
「う、うん」
「惚れてたから特別扱いしてただけ。でもあんたが困ると思って今まで一度も表に出して来なかった」
「…ずっと気が付いてなかった」
「でももう伝えたから、我慢する必要はないっつーか」
「!?」


そう言ってキスを一つ。
メンバーのルキと、あの、ルキとキスしてしまったという何とも言えない感情に襲われる。まるでしてはいけない事をしてしまったかのように。


「心配しなくても、いきなり抱いたりしねーよ」
「んなの当たり前だろ!」
「なんだ、あんたが良いって言ったらそん時はしたのに」
「そんなこと言うわけない!」


そんな男色でもないルキが俺なんかを好きになったと言うこと自体何かの間違いなのにそれ以上の間違いを重ねたらルキが汚れてしまう。


「でも、2人でいる時は話は別。あんたが本当に嫌がることはしないよ。だけど、今まで以上に優しくするし接点持ちたいし、可愛いと思ったら頭とか触っちゃうかも。これくらいは許されるだろ」


今までの俺、健気だと思わねーの?


そう言われて、また言葉に詰まった。
一体なんの心境変化で告白まで至ったのかは分からないけど、ずっと側にいるルキからの好意は初めて気が付いた時にも増して純粋に嬉しかった。自己中で気分屋のくせして俺には激甘。構って欲しくない時はほっといてくれるし、構って欲しい時は必ずと言って良いほど隣にいた。言葉にしてハッキリと伝えられると、やはりそれは相性なんかじゃなくルキの愛情や努力の上に成り立っていた心地よさなのだと実感する。麗にアレコレ言われて息苦しいときも、ルキには何でも話せたし、頼りにしている自分がいた。何故そんな風にできたか、それはルキが俺に寄り添ってくれていたからなのだろう。


「分かったよ、」


こんな風に話していても、あのルキがこんな風に伝えてくるなんてよっぽどだと思う。
あの切羽詰まった声がいつまでも耳に残っている。拒絶しないで、と。
きっと俺との関係性が壊れてしまう事を一番に恐怖していただろう。それなのに俺の性格や考え方を知っているから、俺が気に病むことのないよう軽口で何とかちょうどいい落とし所を見つけてくれようとしている。本当は俺にYESかNOか確答を要求することだって可能だろう。だってこんな関係性、ルキにメリットがない。だけど、その辺を曖昧にするのもルキの優しさだと思うと、やはり俺はルキには敵わないなと実感させられる。


「とりあえず、今まで通りにしてればいいんだろ?」
「まあそうね」
「できんのか俺…」
「じゃあ、今日はもう、この布団で寝させて」
「は!?それは無理!」
「何もしないって」
「そう言う問題じゃない!」


ルキと同じ布団で寝るなんて緊張するだろ。


その日は結局、一睡もできなかった。
ルキは俺に寄り添って憑き物が落ちたみたいや顔してすうすう寝ていたけれど。

何年も一緒にいて、いろんなことを共有してきたけど、こんな風に同じ布団で寝る日が来るなんて思いもしなかった。
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