短編小説

□熊のしっぽ
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 千代の誕生日、吉永はくまになった。
小さな動物園の狭いトイレの個室の中。茶色の毛がお腹だけ白い着ぐるみの中に足を入れて、首まで引き上げると既に蒸し暑かった。チャックは後ろに付いているから、硬い関節を限界まで動かして腕を伸ばす。なんとか金具を掴み、吉永はそれを上まで引き上げた。
 ゆっくりとドアを開けると、幸いにも人はいない。ほっとして鏡を見ると、中の自分と目が合った。随分汗を掻いている。夏はまだ終わっていないようだ。
 いい歳の男とくまの着ぐるみ。あまりにも滑稽な組み合わせをどうにかしたくて、流れる汗を拭かずにくまの頭を被った。今度はそいつのへばりついた笑顔が気に入らない。作り物だから、仕方ないのだが。
 鞄の中から懐中時計を取り出して見ると、そろそろ時間だ。吉永は携帯電話と千円札をポケットに押し込んでトイレを出る。外で待っている舞衣子、吉永の妻に鞄を手渡して、千代の元へと向かった。
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