東方 無法禅
□達磨の化身と紅い牙
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【その昔:どこかの渓谷】
「退けぇ!! 今は退くんだよォ!!」
「全員渡ったか!!? 崩すぞぉ!!?」
「もっと縄をくれぇ!! 血が止まらねぇ!!」
怒声、怒声、怒声
人影の群れが列を成してヨタヨタと行進し、最後尾の崖が砕かれ崩され、来た道を塞いでいく
人影達は皆傷付き、崖を崩したのは追手を阻む為の事
そしてその光景で最も目を引くのは、その人影が人間より二回り大きな鬼だと言う事である
何よりも闘争を楽しむ鬼達が、逃走に甘んじていたのである
よりにもよって、人間達を相手に逃げているのだ
「!!」
崖の上から飛び込んで来た躍動物に気付いた、腹に空いた穴を片手で押さえた鬼がもう片方の手で鉄球のついた鎖を振りかざした
が、それもすぐに降ろす事になる
「これでッ最後よ!!」
着地の寸前、不自然に落下の勢いを殺した橙色の法衣の背中には、やはり二回りは大きな、右膝を微塵に砕かれた鬼を背負っていた
「あと八人程いた筈だが…」
同じく傷付いた同胞達に運ばれる仲間を尻目に、落ち着いた佇まいの鬼が静かに法衣に尋ねた
この一団の参謀役とも言える者だ 鬼の戦い方や生き様を考えると参謀と言う呼び方は堅苦しいやも知れないが、ともあれ纏め役の一人ではあった
左目を射抜かれていた
「“もういない”…」
法衣…朱京士郎は顔に滴る鬼の血をグイと拭い、運ばれる鬼を見送りながら短く応えた
「…そうか」
詳しくは語るまでもあるまい
あえて言うならば、人間達が結託して鬼達を撃退した と言った所か
所用があってその鬼の一団へ向かっていた京士郎だったが、辿り着いた時には既に戦は始まっており、流れすらも決していた
異常な光景だった
人間の刀や槍の一振りで鬼の手足が跳ね飛ばされ、弓の一引きで頭や角が砕かれた
鬼の拳や蹴りを生身で受け止め、避わし、鼓膜を破る程の咆哮に対し微塵も恐怖を感じていなかった
あまりに…あまりに突飛で、現実味を感じにくかった
だからこそと言うべきか、あかの他人でしかない京士郎は冷静とまではいかずとも混乱は少なく、鬼達の撤退を手伝えた
グアァァァァァァァァァァァァァァ!!
「!!」
「、なんだ?どうしたぁ!?」
京士郎達より前方…列の全体から見て中程辺りから爆音が炸裂した
それまでの鬼達の怒声を押し潰す程の大咆哮 続けて地震の様な地響き、そして先程までとは質が違う慌てた怒鳴り声が聞こえ、誰もがその方向に顔を向けていた
「…行くぞ、朱の」
「ん」
*****
「離せぇぇぇ!!離しやがれぁぁぁ!!!」
「ぉお頭(かしら)!!どうか落ち着、ッグヘぁ!!?」
こちらに向いていた背中が、行きなりこちらに飛んで来た
京士郎はその背中に片義手をついて勢いを殺し、飛び越える様に後ろに流した
そうして目の前に現れたのは…
「頭…」
参謀役が“見上げる”
当然京士郎も見上げる
大柄な鬼達より、更に三回りは巨大な…最早体格そのものが暴力と思い知らされる大質量
頭に“あった”竜巻を形にした様な角は、根本から粉砕されてしまった
手足の太さは周りの鬼達の胴体程もあるが… 右腕は、上腕から切断され、止血の為に鎖で縛り付けてある
全身至る所が切られ、焼かれ、血に塗れ、叫び暴れる度に血が吹き出し骨が軋む
この鬼の一団の頂点にいる最も強く、豪胆で、勇敢な鬼
それすらも、人間相手にここまで痛めつけられたのだ
「…貴ィ様かぁ!!?勝手な真似、ッしやがってぇ!!」
押し止められる筈もない傷付いた部下達を蹴散らし、血の足跡をつけて詰め寄った鬼の頭領が左の拳を振り上げ、京士郎目掛けて叩き込む
「ぃっ!!」
「ッ…頭ぁ!!」
全体の重心は低め、義足に踏ん張る重心を込め、頭領の拳に進行方向とは逆の重心を掛け、あとは両の義手で受け止める京士郎
地面に義足が食い込み、義手と胴体の結合部がもげそうになり歯を食い縛る
全力で勢いを殺したつもりだったが、半分も受けきれなかっただろう
それでも京士郎が人形を保ったまま立っていられたのは、京士同様両手で頭領の拳を受け止めた参謀が彼女の背後にいたお陰である
その参謀すらも決死の形相である
「っ頭…!どうか、今は退いて下せぇ…!」
「退く!?退けだと!?この、俺達がか!!?」
引いた拳を眼前まで引き戻し、血を滲ませながら握り締める
「相手は人間だぞ!!? 不意を突かれ、腕一本無くしましたじゃ済まされ無ぇんだよ!!」
気位 自身 実力 威厳
決して揺るがなかった全てを八つ裂きにされる事は、鬼にとって恥辱の極みだった
敗走中の鬼達の中にも涙を流す者は多かった 痛みでも恐怖でも無く、悔しさによる涙だった
あの鬼達が、泣かされたのだ
「確かに卑劣な不意打ちでした…人間達の数も、知らされていた以上のものでした…ですが、それは非力な人間達にはいつもの事!」
左目の損失は勿論、頭領の右腕に恥じない戦いぶりから、それ相応に傷付いた参謀役である
そんな状態で主の拳に押されながら、しかし言わなければならなかった
それが参謀の役目なのだから
「ですが!此度の人間共は明らかに様子が違いました! これ以上の無茶は…!!」
「やかましいぁ!!」
伸ばした拳を一旦引き、今度は真上から叩き落とす
「グふァッガ…!!」
重荷を担ぐ形で踏ん張る参謀鬼
片膝を着いて尚屈しきらずに済んだのは、京士郎が拳の重心を反対側に向けていたからである
それでも地面に走る亀裂を見れば、如何に危うい攻防であるかが分かる
「人間共がどうだろうガッ…っぐぇはぁ!!…か、関係、無ぇんだよ…!!」
そして、その攻防の負荷に攻め手の、一族の長である大鬼自身が耐えきれていないのだ
「俺の親父や!お袋や!兄弟やガキ共にもそう言うのか!? 俺達だけがそん…」
「その、親兄弟についてなんだけどね…」
「!?」
「ぁあ…!!?」
朱京士郎が口を開いた