東方 無法禅
□達磨の化身と山吹色の神木
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【その昔:どこかの町】
「おいおい何の騒ぎだありゃ?」
夕日も沈んだばかりの、中途半端な月明かりの夜
男も女も子供も老人も、周囲にいた誰もがそんな事を呟いて橋の方を見た
街の真ん中を通る名物の大川で、人や荷を運ぶ小舟や橋が行き交う川だ
そんな橋の中でも特に名高い、観光客まで目当てでやって来る大きな橋が注目の的だった
なのに
橋から離れている者は近寄るのに、橋に近い者は逃げる様に離れた
誰もが近付き過ぎたがらない
牛車が悠々と擦れ違える程の巨大な橋に、三人しか残らなかった
一人は男
青ざめた、驚きを隠せない顔でヨタヨタと後ずさっていた
もう一人は女
男に比べ不快感の色が強いが、概ね恐怖の表情で何かを抱え、男にすがりつき、やはりヨタヨタと後ずさっていた
最後の一人は
「……、… …、…、」
最後の一人も女、の筈だ
まず下腹部が大きく膨らんでいた 臨月の妊婦の様だった
膝まで届く黒髪は干からびた海草の様に荒れ果て
赤と茶の染みが滲んだ穢わらしい白装束を引っ掛け
痩せこけた全身の肌は比喩抜きに青ざめ、ひび割れと血にまみれ
前髪に隠れた顔でも、眦(まなじり)と口角を忌々し気に引き攣らせているのが分かった
「……し、テ…」
ぺちゃり、と
女らしき者が重そうな腹を抱えて一歩進み出れば、男と女は半歩引き下がった
「ど ウし、テ…!?」
女らしき者の周囲には彼女の見た目相応の生臭い匂いが撒き散らされており、橋の端の見物人達はその匂いが届かない距離でクッキリ立ち止まっていた
その最中に立たされた男女等はもう目も当てられず、恐怖に加えて吐き気まで催したのだからたまったものではない
何より、男女はその匂いに覚えがあり過ぎた
つい最近嗅いだ臭いだった
「どオおオおシてェぇェ!!?」
女らしき者が血と唾を撒き散らしながら叫び、真下の水面が波打ち、悲痛と表するにはおぞまし過ぎる絶叫に誰もが耳を覆った
橋の上の男だけが歯を食い縛りながら女の肩を支え、女だけが抱えた何かを後生大事に放さずにいた
「どオおオおシて!?アンタが!!そイつト居ルのオおォおぉオぁ!!?」
橋をへし折りかねない踏み締め方で距離を詰める異形に、ようやっと男女も震える足が動き始めた
「ぉ… お前、お前は…だって…だってそんな…!?」
「あな、た…?あいつの事知っ」
「気 安 く呼ぶナァァァァァァァ!!!!」
女らしき者が、細い手足と肥大した腹部からは想像も出来ない勢いで走り出した
遠巻きに取り巻く群集すら思わず身構え、男は女の手を引いて逃げようとしたが、女は足がもつれてその場に崩れ落ちた
「そ ノ人かラ 離 レ ろァァァァァァァ!!」
橋板を割りながら迫り来る異形に対し、男は背を向けて女を庇うしかなかった
「…!!ィ嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
グバんッ
「…!?」
「?」
「…!!?」
「……」
怪物の筋張った手は、男女には届かなかった
人力では到底考えられないが、とにかくその乱入者は人混みを真っ二つに押し開いて橋へと踊り出し、男女と怪物の間に割って入った
怪物が降り下ろした右手はその乱入者の左腕をへし折り
乱入者の突き出した右の抜き手が怪物の腹へ突き刺さっていた
周囲の者達がざわめき、騒ぎ、叫び、数拍置いて男女が顔を上げた
「!!イヤア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!?」
腹部と口から改めて血を吹き散らし、今まで以上に取り乱した怪物は両手で乱入者の右腕を掴み、肘近くまで腹に突き刺さったそれを力任せに千切った
「・・・・・・・・・…」
乱入者は眉一つ動かさなかった
“身体に巻かれた経文で最低限動かせる程度に補強された左の義手”で怪物の頭を掴み、何かを唱えた
すると義手の経文から更に経文が幾多にも展開され、怪物の全身に巻き付いた
「やだ…やだ…!死んじゃう…死んじゃう…!!」
怪物はそれにも構わず、自分の腹から落ちる血肉を必死に押し止めようと、両手で傷口を塞いだ
『…アンタ、も!!手伝』
「・・・!」
経文に包装された怪物が弾けた
乱入者が経文を解き、巻き取り、義手を離すと、内側から白い炎に焼かれた悪鬼がヨタヨタと歩を進めた
乱入者は橋の手摺に身を寄り、男女へ道を譲った
悪鬼も乱入者には目もくれず、男女を目指した
「ぁ…ぁ……」
「ぅぅ…ぅ……!」
もう前も向けない女は男に必死にしがみつき、逆に男は悪鬼から目を離せなかった」
「アナ タ …」
ボロボロと身体が炭になって崩れ落ちながら、それでも悪鬼は腹を抱えて男に手を延ばした
「わた シ た ちの …あか」
バサァァ…と
男まであと少しの距離を残して、悪鬼は灰の山となった
遠くの者逹程騒ぎ立て、近くの者逹程息を詰めていた