短編 乙

□朱い達磨と二十四色の空
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【その昔:島国の上空】
【午前五時台】





「…っと」


目的地へ向けて横向きに“落ちて”いた女…朱京士郎が、グルンと一回転して“落下”を止めた


眼下に居並ぶ山々との間に雲々を挟む程のべらぼうに高い位置に浮かんだ京士郎は、笠も髪も服も錫杖も荷物も何も、全てを強風に煽られていた
法衣がバタバタと、錫杖がガシャガシャと音を立てる


刻の頃は日の出直前
ただでさえ気温の低いこの高度では、明け方の寒さは更に強まる

それでも京士郎がこの高さを飛んでいたのには、理由がある

人間達に空中にいる所を見られたくないと言うのは勿論だが、それでも“この時間帯は”この高さがいいのだ

それこそまさしく、今さっき京士郎が目的地への移動を止めた理由でもある


京士郎は寒さと眩しさに目を細め、しかし見逃すまいと見つめたまま笑った



「おはようさん…今朝も早いわね」



真下に点在する雲達は視界から遠ざかる程に集まって(見える様になって)いき、地平線の彼方では雲が地平線を作っていた


その水蒸気の大地から、灼熱の御天道様、太陽が顔を覗かせた


朝日が暗闇の名残で灰色掛かっていた雲の絨毯を茜(あかね)色に染め上げ、世界は途端に温かさに包まれていく

普段は分かりにくく日の出の時には分かりやすい事だが、太陽と言うのはあれで中々素早く動くのだ
みるみる内に太陽はせり上がり、あっと言う間にまぁるい全身を浮かび上がらせた

白い右の瞳が目蓋に隠れる

黒い右目が目を細める

朱い髪が朝日に照され、火の粉を散らすかの様で

経文に抑えつけられた義肢が、朝日の陰で軋む様で


依然として強風が京士郎の全身に叩き込まれるが、さっきまでの寒さで切り刻む様な激しい寂しさは無く
日光の暖かさを含んだ今の風は、京士郎の全身に一日分の活力を激流の様に流し込んでいる様に感じた

勿論朝日で腹は膨れない が、それでも精神的に満たされた

物理的な明かりが精神的明暗にここまで影響するものか


髪と袖と裾を御旗の様にバタつかせて宙に浮かぶ達磨の付喪神の立ち姿は、それなりに様になっていた


唸る様な暖気の濁流が鼓膜をくすぐり、身震いをする


「…うっしゃ」


縄で背負った木箱を揺すって背負い直し、も一度グルンと回って正真正銘斜め下方に“落ちて”いく


用が済んだらのならば、もうこの高さにいる必要は無い

日が昇ったと言ってもこの高さは寒いし、何より高度を維持するには妖力の消費が勿体無い


用があるか否かで朱京士郎は風情を理解も出来、無粋にもなれた

そして今この瞬間は、本日の利益を上げる為にも無粋になるべきだった




朱京士郎は達磨の付喪神である

ひょんな事から妖力の消費が凄まじい義肢を埋め込んでしまい、その弊害を抑える為に、今日も食用の妖力たっぷりの心臓を稼ぐべく、働きに出掛けるのであった





一日が始まる
 

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