短編 甲

□Blind Like
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「お願いです…お願いです…」



もう、手放せなくなっていた



「あと少し…せめてあと少し…」



あと少し? あと少しってどれくらいだ?



「お願いします…どうか、どうか…」



少なくとも、私はその“少し”を先延ばそうと躍起になった





【紅魔館:厨房】





「咲夜ちゃーん?」


「……」


車椅子を漕ぐ私の呼び声には振り向かず、かつて赤ん坊だった幼女は黙々と作業を続けた

私はそれを不快には思わず、むしろ小さく満足した


踏み台に乗って背伸びをして、鍋を火に掛けて料理をしているのだから



「どんなもんですか?」


お玉から味見をする咲夜の隣に車輪を並べる


あの日投げ込まれた赤子はあっと言う間に大きくなった

人間自身から見ても赤ん坊の成長は早いのだ

妖怪の私から見たら、本当にあっと言う間であった


幼女は妖精メイド用のエプロンを着て、日々仕事を覚えようと頑張っていた


「……」


暫しシチューを舌先で転がしていた咲夜は、いつもの様に黙ってお玉を私に手渡した

彼女は踏み台に乗り私は車椅子に座っていると言うのに、ようやく彼女の目線が僅かに高い位置にある、と言った具合の身長差だ

妖精用のメイド服だと言うのにまだ裾が長めなのも合間って…


そして何より人間である事が、彼女を余計に小さく見せていた


(さてさて…お)


お玉に乗ったシチューは美味しかった

子供じみた感想だが、意味合いが違う

そのシチューを作ったのは子供より小さな幼女である

普通、人間の幼女は料理をしない

ましてや美味しいシチューを(レクチャーや力仕事の手伝いを差し引いて)一人で作れる筈が無いのだ


何より…


(血の分量まで完璧じゃないですか)


人間ならば大人でも料理に血は入れないし、上手く混ぜられる者もそうはいない



故に、この子供じみた感想には大人顔負けの成果と努力が込められているのだ


断じて私の語彙の問題ではない


「…ほんとに?」


幼女は厳重な警戒のもとに、私の感想を尋ね直した


「はい、今すぐ全部食べちゃいたい位です」


「、だめっ!」


私の舌舐めずりを見た途端、幼女はピシャリと蓋を閉じた


「言葉に嘘はありませんけど、食べませんよ」


「……」


…やはり前科があると警戒されてしまうか


「それじゃ、お嬢様の所に持って行って下さい」


私が車輪を回して下がり、数秒警戒してから咲夜はようやく蓋を開け、お椀に盛った

実に嬉しげである


(まぁ、初めてお嬢様に食べて頂きますからね)


ごみ捨て、雑巾がけ、窓拭き、洗濯、掃除、そして料理

まだ二桁の年数も生きていない幼女は、紅魔館の雑務を必死に覚え、飯使いとして使い物になる人材としてこの館に置いて頂いていた

彼女にはそれが世の真理として、実際はそうしなければ飯使い以下の扱いをされるから、美鈴は幼い咲夜を徹底的に教育した

…実の所、十六夜咲夜は飯使いとは比べ物にならない役立ち方が…


「美鈴」


「…ほぇ?」


ボンヤリしていた美鈴の前には、ボウルの被さったお盆を持った小さな小さなメイド見習いが


「もって」


「??持ちました」


言われるがままに盆を受けとると、可愛い咲夜ちゃんはテトテトと私の後ろに周り込み、自分の顔の高さもある車椅子のグリップを掴んだ


「ッん〜〜〜…!!」


…ん? あぁ、ターンか  これ力を要るのよねぇ

と、車輪をちょいと回して勢いをつければ、あとは咲夜の頑張りに従って車椅子は出口へ向いた


「…咲夜ちゃ」

「そのよびかたやめて」


……自尊心が育って大変よろしいです グスン


「咲夜さん一人で行った方が早いんじゃ…私本当なら自室で待機中なんですし」


実際、自分の倍はある上背の女が座った車椅子を押すのは重労働であろう


「おしょくじを運ぶのは…メイド長の仕事…」


「……」


はぁ… 何て可愛い

じゃない

なんていい娘なんだろう

とは甘やかした考えだろうか


実際、十六夜咲夜の忠誠心は幼子とは思えないものだった

心構えに関しては(美鈴自身の心構えに若干の疑問があるので)別段教え込んだ事は無いのに、お嬢様と紅魔館に対する献身と服従は目を見張るものであった

それ程までに、お世話をする為にこちらから参ったり、たまに修行の様子を見に来るお嬢様に感じ入るものがあったのか


そして同時に、業務を優先するならば私を置いて行くべき所を、彼女はメイド長の顔を立てようとしている

人間の娘がここまで厳しく、また優しくなるものなのか


「美鈴?」


「……ぇあっ、はい」


「…ねむいの?」


「あ いえっ、決してそんな」


「…足がいたいの?」


美鈴が車椅子に座っている原因 包帯が巻かれた両足を気遣った



「大丈夫ですよ、一週間もあれば治ります」


「……」


「心配してくれてありがとうございます」


「……ッ」


ううぅっ、と恥ずかしがる幼女の唸り声が、私の後頭部をゾワリと撫で上げた



「…あ」


「?」


廊下の真ん中 あと少しでお嬢様のいらっしゃる部屋につくと言う所で、咲夜は足を止めた


その部屋から出て来た小悪魔が、こちらに気付いてパタパタと飛んで来たのだ


「あー丁度…よかったのか悪かったのか…とにかくメイド長、咲夜さん」


「どうしましたか?」


「お嬢様のお夕食なんですけど…お嬢様、やっぱりシチューより血をそのまま頂きたいと」


「え…」


「……」


「…勿論、咲夜さんのを」


「そん「分かりました」


咲夜さんはグリップをあっさり離した


「さいけつは…」


「部屋でパチュリー様が用意してます 抜きたてが吸いたいからと」


「分かりました」


「咲ッ、夜さん…」


思わず叫びそうになったのを、喉の筋肉で無理矢理止めた


お嬢様が意向を伝え、見習いとは言えメイドの咲夜さんがそれに応える

何ら問題は無い

どうしてそれをメイド長の自分が止められようか


「美鈴…」


咲夜はお盆を持つ私の手に触れ



「シチューは、ひとばん煮込んだ方がおいしいんでしょう?」


味見以外でシチューを食べた事の無い幼女が、教わっただけの知識を励ましの言葉とした

一番落ち込むべきは咲夜なのに、彼女はなんとも思っていないていで、他に誰が落ち込んでいるかを察していた


「……」


「咲夜さん、メイド長とお盆は私が」


「、お願いします」


幼女は小さな歩幅で駆けて行った








「『シチューは』ッッッ『一晩煮込んだ方が』ッッッお、『美味し』、『い』、い、ひ、ひひッ、ひ…!!」


私の車椅子を押しながら、小悪魔は大爆笑するのを必死に抑えながら爆笑していた



「あ、安心しなさいよメイド長ぉ、ふふふッ…お嬢様は約束はま、守るんだからぁッッははは…!」


膝の上にある盆が咲夜の作った料理でなければ、いますぐ背後の淫売の顔面にぶち込んでやるのに
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