お題用

□名前を呼ばれると嬉しい。
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 時々、妙に自分が犬のように感じる。
 
「ファニー、どこにいるの?」
「只今そちらに参ります」
 きょろきょろと辺りを見回し私を探すご主人、アリエルお嬢様の姿を見ると、全力で尻尾を振り出す犬のように心が踊りだしそうだ。
「いかがなさいましたか?」
「書庫の本が届かないの。取ってくれる? 私がいつも使っている台は兄さんがどこかに持って行っちゃったみたい」
「ああ、あの台なら旦那様が天井の修理に使っていますよ」
「え? 天井?」
「ええ、雨漏りがするといって業者に頼むことも億劫なので自分で応急処置をと」
「……ファニー、一緒にアルバイト行かない?」
「え?」
「ウチが貧乏なのはファニーが一番良く知ってるでしょう? あのお父様と兄さんだよ? 見栄を張るのに忙しくて仕事なんかするはず無いわ」
 そう言ってお嬢様は駅前で無料で配られているアルバイト情報誌を開きだす。
「やっぱり夜間がいいかしら。ほら、九時から二十六時までの清掃員とか」
「お嬢様にそのようなことをさせるわけには……」
「じゃあ、昼間の十時から五時までの書店の店員とか?」
「いえ、私が外で働きますので、お嬢様は大人しくしててください」
「ダメよ。ファニーばっかり忙しくなるじゃない」
 お嬢様は他の誰よりも私を気にかけてくださる。そのことはとても嬉しい。
 けれども、そのことでお嬢様の負担にはなりたくない。
「いい? 生きるって事は学び続けることなの。これも生涯学習の一環よ? それともファニーは私から学ぶことを奪うつもり?」
 いつもより少し厳しい口調でお嬢様は言う。
 思わず頬が緩む。
「申し訳ございません。では、二人一緒にどこかへ出稼ぎに参りましょう」
「うん。あ、そういえば、野外イベントの音響の仕事あったけど、一緒に行く?」
「……それは私が参りますからそれだけはやめてください」
 お嬢様に40kgもあるスピーカーを運ばせたとなると私が旦那様に壊されますと告げるとお嬢様はため息を吐いた。
「なら兄さんが行けばいいのに」
 あれじゃあただのごくつぶしよとお嬢様は言う。
「兄さんよりフランシスのほうがずっといい男よ」
 笑って言うお嬢様に胸が熱くなる。
「ずるいです」
「え?」
「急に名前を呼ぶなんて」
 いつもは「ファニー」と呼ぶのに、なぜ突然「フランシス」なんて呼び始めるのだろう。
「あら、名前なんて呼ぶためにあるのよ? フランシスも私のこと名前で呼んでくれたっていいのに。ほら、アリエルって」
 この名前結構気に入ってるのよ? とお嬢様は悪戯っぽく私を見上げる。
「そういうわけには」
「つまんない」
「失礼いたしました」
 私にはお嬢様、アリエル・ディーヴィスという人が理解不能だ。
 けれども、なぜかお嬢様に「フランシス」と呼ばれるのは「ファニー」と初めて呼ばれた時にも似た喜びがある。

「私はお嬢様の犬かもしれません」
「あら、犬なら間に合っているわ。オスカーっていう駄犬がいるもの」
「彼にだけは負けません。私は忠犬です」
「たいした自信ねぇ」
 笑うお嬢様に一生ついて行くと決めた瞬間だった。
 

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