企画
□Bar Phoenixへようこそ (一周年企画)
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柳宿がやたらとニコニコしながら、おまけにお土産まで持って現れる。──まったくいい予感がしない。
雪の運んできたコーヒーにひとくち口をつけた彼は、正座したままでそっと手を合わせながらこう切り出した。
「雪ー、あんた今週末、休み?」
「そうだけど、どうかしたの?」
「あのねー、実はうちの店がねぇ……」
ほらきた、と井宿は目を細める。
諸事情で人員が足りないらしい。要するに「一日手伝って!」ということだ。柳宿が勤めるバーには確かに世話になっているのだが、井宿は一度さんざんな目にあっているのであまり気乗りしない。
「……ぬ、柳宿、未成年はさすがにまずいんじゃないのだ?」
思いきって割り込んだ井宿を、彼は横目でじっとりと見返してくる。
「あんた相変わらず堅物ねえ、ただの店員よ?飲むわけじゃないんだし」
「そ、そういうもんなのだ?少し違う気が……」
「心配しなくたって、あんたも一緒に雇ってあげるわよ。オーナーが時給はずむっつってるし。あんた気に入られてるみたい」
「だっ!?」
「臨時収入かぁ……。うん、いいかも」
言葉を失った井宿に対して、雪は乗り気だ。
別に金に困っているわけでも、欲しいものがあるわけでもないのだが──なんて、深々とため息をついた。
*
そして、ついにその週末がやってきてしまったわけで。結局なんだかんだでついてきてしまった。雪が乗り気な以上は無理に止めるわけにもいかないし、仲間思いの彼女が承諾を撤回するとも思えない。
今回も完全に、柳宿の勝利だ。「雪一人、バーなんかで働かせられるわけがない!」と井宿も出張ってくるのを見越していたのだろう。またため息が逃げた。
「大丈夫よ、うち、女子もパンツスーツだから。一応セクハラ対策」
事務所で"心ここにあらず"という風にそわそわしている井宿に、柳宿が耳打ちする。
「そっ、そんな事を気にしているわけではっ……、」
「よっ!おまたー」
「"せ"まで言いなさいって、何度言ったらわかるの?」
柳宿の声に何故かニヤリと笑いながら、雪がカーテンの向こう側から颯爽と現れた。誰が見てもご機嫌だ。
「似合う?似合う?ちょっとは大人っぽく見える?」
黒のパンツにベスト、白いブラウスに小さなリボンタイ。ほとんど同じデザインのものを身に付けているのだが、なんだか全然違うものに見えた。
「……ほら井宿。ぼやっとしてないで、なんとか言ってやんなさいよ」
「だっ……、あ……ああ、似合っているのだ」
「本当?よっしゃやる気わいてきたわー!」
「他にも言えないこと考えてるわね、その顔は」
柳宿の言葉を聞き流すと、井宿は渡された伊達眼鏡を掛けながらゆっくり立ち上がった。
──開店まであと三十分ほど。これからまずは準備に入る。とはいっても、大事なことはあらかた柳宿が済ませてくれているので、テーブルを拭いたり軽く掃除をしたり、そのくらいになるだろう。
「こっちの布巾で濡れ拭き、こっちで仕上げに乾拭き」
「はい」
一度手伝いをしたことがある井宿が、雪に指導をする。
しかしフロアに出てからずっと──ひとつ気になることがあって、井宿は苦笑を浮かべた。
「それが済んだら……って、さっきから何故君は敬語なのだ?」
「え?職場では先輩でしょ、だって。──こんな感じですか?」
「……。そ、そうそう……」
わざとではない、彼女は真面目に言っている。
気恥ずかしくなってその後はすぐに離れたのだが、アルコールの霧吹きをぶら下げて、彼女は教えた通りに行ったり来たりしていた。手際は悪くない。
そんな姿を横目でたまに確認をしながら、井宿は黙々と床掃除に励んでいた。
「終わったよー。柳宿、次は?」
「もういいわよー、後は開けるだけー」
カウンターから柳宿の声が飛んできたので、井宿も道具を片付けて曲げていた腰を伸ばす。時計の針はいつの間にか、開店十分前を示していた。
「外、寒いみたいね。もう外にお客さん来てるんだけど、ちょっと開けてもいい?」
「まあ……。こっちは構わないのだ」
「はーい、こっちも平気でーす」
低音量の有線に混ざって、からからん、と小気味好い音が響く。さっそく愛想笑いを浮かべて、本日一組目の客へ軽く腰を折った。
「いらっしゃいませ」
「おう!やっとるな、バカップル!」
「ここか、幻ちゃん!美男美女がお酒を運んでくれるっちゅー素敵なお店は!」
「……!!」
チンピラだ。しかも、二人。愛想笑いを引っ込めるのも忘れて固まる井宿とは対照的に、雪は極上の笑顔でその二人組を迎え入れていた。
「いらっしゃい、何にします?」
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