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□鳴かぬ蛍が身を焦がす
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宮殿内の男女比は圧倒的に男性が多いが、勿論女性だっている。給仕、侍女、その他手伝い諸々――。
「――っと、」
回廊ですれ違った侍女がなにかに蹴躓いて宙に舞った書の束。それらは何故だか、ぴたりと空で停止した。
前のめりで呆気にとられる侍女の体を支えたままで、男は音もなく着地させる。
「もっ……申し訳ありませんっ、井宿様!」
「気を付けた方がいいのだ、怪我をしてしまうのだっ」
愛嬌たっぷりの顔でそう言って、そっと腕を離す。侍女は急いで書を拾い上げた後、何度も何度も井宿に頭を下げて去っていった。
それからやれやれと息ひとつ吐いて、歩を進めていく。誰かさんのおかげで、おっちょこちょいを助けるのには慣れてしまった。
先程の侍女が曲がってきた角を抜けると、その先で翼宿が頭を掻いていた。
右手には何か紙切れのようなものが握られていて、裏表ひっくり返したり透かしたりしながら……どうやら井宿には気付いていないらしい。
「――文なのだ?」
「のわっ!!」
よほど意識を集中させていたのか、慌てたように翼宿が視線を向ける。井宿が少し引くくらいには目を見開いていた。
覗き込むように見た手にはやはり、文が握られている。
「い……今さっき、此処で女に貰うてん」
「あー……侍女の?」
「なんっ、なんで知ってんねん」
なんでもなにも、すれ違うに決まっているのだ……井宿は小さく言って、それからにんまりと口角を上げる。
「やっぱり君はモテるのだなあ、翼宿君」
「悪いけどな。これはお前にや」
「? からかうのも大概にしておくのだ」
「いや、マジにやで?」
向けられた表書きには、確かに自身の名が書かれている。そこで井宿は先程ぶつかった女の顔を思い出してみたのだが、特に見覚えもなく、文を貰うような間柄ではないと首を傾げた。存在を認識したのはさっきが初めてだ。
「ふーん、本業の依頼なのだ?」
「ちゃうと思うで?……うわ、お前本気で言うてんねんな」
大袈裟にため息をついた翼宿が、面倒臭そうに文を押し付けようとした……ところで、はたと目付きを変えた。
「おー、雪」
「ほ?お二人さんお揃いで。何やってんの?」
いつも通りのゆるやかな歩調で近付いてくる雪と、文を懐に突っ込む翼宿を交互に見やったが、井宿はいつもの調子を崩さない。
「雪、何処に居たのだ?」
「いつものところ。本読んでた」
いつものところ、と言えば、中庭の木陰であろうか。
そんなことを考えた時点で井宿は完全に文の存在を忘れていたのだが、翼宿の動きに違和感を覚えたらしい雪がこんなことを言い出す。
「翼宿、どした?元気ない?」
「な!なんでやねん」
「いや、珍しく黙ってるから。具合悪いかお腹空いたかって」
「あんな、俺かて恋人同士の会話に割り込まないってくらいの、でっ……デリカシー、は……」
わざとらしく、両手の平を顔の横で天に向ける。
「ふうん……それより、何か落ちたけど」
「だあっ!!」
そう喚いたのは翼宿だ。馬鹿、と井宿は一言呟いただけである。別に何事も無かったように拾えばいいものを。
代わりに井宿が冷静に床から文を拾い上げて返そうとしたのだが、その手を雪が押し留める。
「ん……雪?」
「それ、井宿宛てじゃん。なになに?二人で宮殿内文通でもしてんの?」
みるみるうちに翼宿が青ざめていく。何故だか分からないが、彼が一番慌てているようだった。
「あ、あかんて雪。それは……」
「そういえば翼宿、これの内容は……、」
言い切る前に雪の手に渡った文が、ぴらりと広がる。