100題


□034.Cruel gentleness -容赦のない優しさ-
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震えそうになる声に何とか芯を通して、ここ数年で一番の勇気を振り絞って声をかけた。

「あ、あのあの、今、お時間大丈夫ですか?」

きょとんと首を傾げる名も知らぬ彼の顔がまともに見れなくて、真っ赤な顔を俯かせ、長い髪で隠した。

「何か御用事ですか?」

「いえ、そういうわけじゃなくて……あなたに個人的にお話があって……」

「僕に?」

「はい!」

裏返った。緊張しすぎて音量の調節がうまくいかない。唇が微かにわななく。
だが、そんな私の態度をどう受け取ったのか、彼は目を和ませた。

「丁度今から休憩です。連絡しなくてはならないところがあるので、少し待ってくれたら時間を作りますよ。すぐ戻ってきます」

「あ、は、はい」」

言うと、彼は傍を離れた。
休憩中とは都合が良い。全身の硬直が解かれて、大きく息を吐き出す。
第一関門は突破した。けれど、休憩に邪魔するのは、それはそれで相手の休み時間を削ってるわけだから迷惑かもしれない。手っ取り早く済ませた方が無難なはず。でも、時間がかかるとか、かからないとか、それは返事に左右されるし、と心中悩む。でも結局気持ちを伝えたい、唯それだけだから大丈夫だと無理に自分を鼓舞した。

ああ、でもやっぱり邪魔じゃないかな……なんか周りの視線も微妙に痛いし。そんなに珍しいのかな……。

いや、でも今から告白するんだから、少しくらい図太くならなきゃ駄目だよ、私。

そう、私、告白、するんだから。

そう自覚が伴いはじめると、心臓がばくばく音を立て始めた。極限状態だった。前後左右が覚束ない。危険人物過ぎる。
どんな反応を返してくれるんだろう。ああ、でも初対面だし。
恋人同士になりたいだなんて甘い夢は見ないが、せめて、お友達くらいにはなれたら、なんてこれもこれで甘ったるい希望。折角顔見知りになりたくて、関係を持ちたくてこうして行動を起こしたのだから。

「すみません、待たせました」

ゆったりとした歩みで引き返してきた彼の声がして、肩先が揺れる。頭の中がごちゃごちゃで、事前に叩き込んだ告白の手順が断片的にしか取り出せない。白紙に近い頭の中で、まずはどれを言うべきか混乱の窮みを経て、どうにか声を引き出した。

「あの、実は、私……あう……えっと……」

一向に切り出せない弱い私に嘆きつつ、忍耐強く待ってくれる彼に申し訳なく思いつつ、下に彷徨わせていた視線を漸く前に向けた。
彼の顔を直視して、何とも言えない幸せなくすぐったい想いが私を包む。私、話してる。彼と話してるんだ!
見つめるだけで良かった。それが話しかけてみたいという衝動に取って代わられて、いつしか挨拶を交わせるくらいには、と段々貪欲さが突出し始めたのだ。
長考の後、勢いに任せて口を開きかけた瞬間。

「おーい、萌太ー。お客さんだぞー」

彼――萌太というらしい彼の先輩らしき人が声をかけた。萌太くんは、顔をくるりと背けてしまう。出鼻を挫かれた。

「あ」

彼の零れた言葉に、声を投げかけてきた先輩を恨めしく思いながら、眼差しの先に目を遣ると、美しい黒髪の少女が真っすぐ萌太君に視線を注いでいるのが見えた。
誰? そんな問いかけが浮かんだとき、

「崩子!」

萌太君が叫んだ。顔が緩んでいた。眸をぱちくり。え、もしかして。

「ごめん、ちょっと外しますね」

私を置いて彼は小走りで彼女の元へ行く。目当ての人物を見つけて、黒髪の如何にも和風で楚々とした美少女は、不満げに口を尖らせて何某かを言う。それを受けて、萌太くんは苦笑交じりに笑ってみせる。
さっきまでとはまるで違う、温かな笑み。比べるべくもない。私に対していたのは他人行儀の作り笑顔だと一発で感じ取れてしまうくらいの温度差。
親密そうな空気が彼らを取り巻いて、息が苦しくなった。

入れない、そう思った。

そして目から鱗ろが落ちた。そうだ、私は初対面なのだ。やっと思い至った。

知り合いでもなかったのだ。分かっていた事実を本当に理解できていなかった。
彼が独り身である保証はどこにも無かったし、今声をかけたばかりの私とあの今彼と言葉を交わしている少女では、天と地ほどの差があって然るべきなのだ、と。向ける笑顔に差があるのも当然なのだ、と。
なのに、息が苦しい。
身の程知らずに舞い上がっていた私の愚行に、心底羞恥がこみ上げる。もしかしたら、希望が拓けるのではないか、というなんて情けない安易な愚考も今は切り捨てたい過去の産物。
居た堪れなくて、顔を伏せかけた刹那、少女の瞳とぶつかった。何の感情も籠っていない。ただの風景を眺めるように。嫉妬も憎悪も嘲笑も敵愾心もかといって友好心も無い、まっさらな瞳と。
ふいとすぐさま逸らされた彼女の視界に、彼が映ることが何とも言えなかった。
自分のちっぽけさをしらしめされた気がして。



「告白くらい自分で対処してくださいな! 私をわざわざ呼び出してダシに使ったりなんかせずに、普通に断ればよろしいのに」

ちらりと兄の後方に目を走らせると、咋に彼女の顔が強張った。
すぐに視線を対面の萌太に戻す。こんなんじゃ罪づくりと言われてもおかしくないではないか。
いっそ彼女が不憫であった。

「ごめんごめん」

だって、と続く言い分が毎回似たり寄ったりなだけに崩子は溜息をつかざるをえない。
一度や二度ならまだしも、だ。これが一体何度目になることか。
眉を吊り上げるのも億劫に思えて、言を継ぐ。

「とにかく、何度も言うように、希望はないと断定されるわけですから、どちらかというと、この手法の方がよっぽど傷つくと思うんですが」

愛すべき妹の抗弁に、兄は目尻を下げて、脇目も振らず走り去る少女を横目に微笑んだ。

「中途半端に希望を持たせる方が彼女のためにならないよ。だって僕はどうしたって誰とも付き合う気はないんだから」

崩子は全く分かっていない敬愛すべき兄に、再度溜息を吐きだした。



034.Cruel gentleness -容赦のない優しさ-
(つまりは最初から最後まで彼は気づいていた、というわけで)
(彼なりの優しさは、彼女たちへの手酷い仕打ちであったというだけ)

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