薄桜鬼
□刃は無くとも…【斎藤一】
1ページ/2ページ
これは日の本の遥か北の地に移り住んでから、初めての春を迎えたある日の昼過ぎのこと。
――…
「すみません、せっかくのお休みなのにお買い物に付き合わせてしまって…」
「休みの日だからこそ、いつも苦労をかけているおまえを手伝いたいと思った。おまえが気にやむ必要はない」
暖かい陽射しがさし始めた斗南の小さな町に、千鶴と一は買い物にきていた。
肩を並べてあるいていると、どちらからでもなく自然と手を握り合う。
まだ少し照れくさい気持ちが浮かんだが、それは一も同じのようだ。
こっそり盗み見た横顔はうっすらと赤くなっているような気がする。
蒼穹の瞳は恥ずかしさをごまかすように視線が泳いでいた。
この人が数年前まで人を斬っていたのだから、その違いがかわいらしく思ってしまい、思わず笑みが零れる。
今日は一が久しぶりに仕事の休みの日だ。
いつも朝から日が暮れるまで忙しく働く一に、今日くらいはゆっくりしてほしいと思っていたのだが、昼過ぎ、町に買い物に行ってきますと千鶴が告げた時、意外なことに一もついていくと言ったのだ。
体を休めてほしいと何度か断ったのだが、一の考えが曲がることはなく、こうして二人で行くことになった。
千鶴の内心では申し訳なく思う反面、久しぶりに一と一緒に出掛けられる嬉しさも込み上げていた。
「えっと、大根と、白菜と、おくらを一つずつください」
いつも買っている青果店へと入り、人柄の良さそうなおばさんへと注文する。
よく来ているおかげで、すっかり千鶴の顔を覚えている青果店のおばさんは、千鶴の姿を見ると、その顔にしわとともににっこりと笑顔を浮かべて、はいよ、まいどあり!と対応してくれた。
「…あら、今日はお連れさんも一緒かい?
ずいぶんと良い男じゃないの」
千鶴の持ってきた風呂敷に注文された野菜を詰めながら、目敏く店の外にいる一の存在に気付く。
そして、おばさんの好みだったのか、一のことを賞賛しながら容赦なく千鶴の肩をバシバシ叩いてきた。
気持ちが上がるのは分からなくもないけど、い、意外と痛いです…。
内心ひそかにそう突っ込みながらも、おばさんにつられて千鶴も一のほうに視線を向けた。
一は、店の入り口の壁に背を預け、町歩く人々の姿を眺めているようだった。
彼の気持ちが表に出ない横顔は、自然と新選組にいた頃の面影を思い出す。
彼の射抜くような鋭い視線は、巡察の時に見せる、些細な事も見逃すことの無いよう辺りを警戒し、鋭く光らせていた時のとよく似ている。
新選組が無くなってしまった今でも、自然と辺りを気にしてしまう癖が残っているのだろう。
一さんらしいと微笑ましく思う心情と、武士として死んでいった新選組の皆のことを思い出してしまい、彼らはもうこの世にいないのだという現実への悲しみ、そのどちらもが込み上げてきて、複雑な気持ちだった。
何度敗北し、追い詰められようとも、己の『誠』を貫き通し、舞い散る桜の如く散っていった新選組。
一と共に会津へと残ったため、新選組の最期を見届けられなかったことに歯がゆさを感じたが、こうして年号の変わった今でも、新選組にいた一と千鶴が生きて、その魂を心に受け継いでいる。
彼らの『誠』の、武士の心と意思は、同じ志しを持つ一に宿っているのだ。
それらを背負っているからこそ、平和の時代を迎えたこの日の本――日本をよりよくしようと、一は毎日忙しく動いている。
自分の為に。
なにより、激戦の中散っていった土方たちのために…。
「せっかくいいお兄さんがいらしたんだし、おまけにこれも持って行きなさいな」
どのくらい考えに老けていたのだろうか。
おばさんのその言葉に、はっとして視線を戻すと、千鶴の風呂敷に大根、白菜をもう1つずつ詰め込まれていた。(半場強制的だったけど)
千鶴は慌ててそれを止めようとするが、おばさんは笑みを浮かべたまま、いいのいいの、と聞き入れてくれない。
風呂敷に入れ終わったおばさんは、千鶴に有無を言わさず風呂敷を持たせ、背中を押してくる。
「すいません。
じゃあ、ありがたくもらっていきます。本当にありがとうございます」
折れてはくれないおばさんに、とうとう千鶴のほうが折れ、深々と頭を下げた。
「一本二本程度なんて全然大丈夫なのよ。
それより、早くあの旦那さんのとこに行ってあげなさいな」
笑顔のまま、そう言ったおばさんに、笑みを浮かべて軽く頷くと、風呂敷を抱えて店を後にした。
「あれっ…」
さっき一がいた場所へと目を向けたが、そこに彼の姿はなかった。
きょろきょろと辺りを見回してみても、一らしき人物は見当たらない。
そもそも一は今まで断りもなしに何処かへ行ってしまうことは一度もなかったはずだ。
――もしかして…
一抹の不安が時が経つと共に徐々に大きくなっていく。
そして最悪の状況を思い浮かべてしまい、いてもたってもいられなかった千鶴は彼を探しに走り出していた。
どうかこの幸せすぎる生活をまだ終わらせないでください――
そう心で祈りながら、真っ直ぐ続く広い通りを必死の思いで探した。
そして、真っ直ぐ向けた目線の先に店の前に立つ、見慣れた黒装束を身に纏う男性が見えた。
彼は、しっかりと閉じられ、人気が感じられぬ寂れかけた店をじっと見つめていた。
その容姿は間違いなく一だった。
千鶴が声を掛けるよりも早く、千鶴の気配に気付いた一は、はっとしたようにこちらに視線を向けた。
彼の瞳には明らかに戸惑いの色が浮かび、その表情は珍しく戸惑っているようだった。
「千鶴…、すまない。すぐに戻るつもりでいたのだが…」
開口一番にそう詫び、ばつが悪そうに目を背けた。
本当は勝手にいなくなり、どれだけ不安になったか、どれだけ心配したかと怒りたかったが、それを上回る別の感情により、怒りはすっと消えていってしまった。
「…よかった……」
今心の中には何もなかったことへの安堵感と、愛する人が今自分の目の前にこうして居てくれていることの嬉しさがいっぱいになって溢れていた。
そして、そのあふれでた感情は、べっこう飴のような色に帯びた大きな瞳から零れ、頬を伝って落ちていった。
それを見た一は、ますます困惑したようで、黙って千鶴の傍へと近づいた。