愛を惜しみなく
□Don't Worry, Baby
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水辺にいるあれ、を、わざわざお部屋まで来てくれた慎ちゃんから手渡されて。
不意のことで、こわさのあまりに気を失ってしまったのは、黄昏時のこと。
ずっと付いていてくれた武市さんにも、よかれと思って採ってきてくれた慎ちゃんにも、
「・・・やっぱり、迷惑かけちゃった」
夕ご飯の片付けをして、お風呂をいただいて。
お部屋まで戻ってきたけど、障子にかけた手は、どうしても動かない・・。
「・・『大丈夫』って、言ってくれ・た・・もんっ!」
髪を撫でながら言ってくれた武市さんの言葉を思い出して、自分に言い聞かせるように、声に出してみるけど――。
・・ダメ、やっぱり、こわい。
あれ、が、いたところに、一人で眠るなんて、絶対に、できない――っ。
っていうか、この手は、障子を開けることすら、できなくて。
どれくらいそうしていたのか―――。
隣の部屋から、武市さんが、顔を覗かせてくれた。
「湯冷め、しますよ」
障子に手をかけたまま、固まっているわたしを見て、声をかけてくれる、けど・・・。
「・・・・・・」
近づいてきた武市さんから、墨の香りが仄(ほの)かに漂う。
きっと、お仕事中・・なんだよね・・。
邪魔をしたくなくて、何にも言えずに、その顔を見つめるだけのわたしを、
「・・おいで」
自分の部屋に入れてくれた。
* * *
向かい合って座ったわたしに、武市さんは、ふわり、と微笑む。
それだけで、ここはこわくないんだって安心してしまうけど・・・わたしのお部屋には・・。
「あれは、もう君の部屋にはいないが――まだ、怖い?」
あれ、の名前を言わずに、やさしく訊いてくれるから、こくん、と頷(うなづ)いた。
「さて、どうしたものか」
武市さんは「気を失うほど、だったのだからね」と言って、わたしを見つめ、思案顔をする。
「・・一人で、お部屋にいるのは、ちょっと・・」
「無理そうかい?」
「・・はい・」
自分ではどうしようもない、こわさ、が、まだわたしを捕らえているから、どうしたらいいか、なんて判らなくて。
「・・・今宵、自室で眠れなければ、きっと、部屋に入れなくなってしまうよ」
わたしが、あれがいたお部屋までこわがっていることを、武市さんは指摘する。
「・・それは、そう、だと・・・思うんです。でも・・・」
「一人じゃなければ、大丈夫なのか?」
「・・・わかりません」
涙目になってきたことに気付かれないように、俯(うつむ)いて、瞬きをしていると、
「試してみよう」
武市さんは、わたしをお部屋に促す。
「・・・っ!」
思わず、首を振りそうになったけど。
一人じゃないなら、武市さんと一緒なら・・大丈夫、かもしれない・・・?
差し出してくれた掌に、手を預ければ、握り返してくれるから、わたしは、おそるおそる、お部屋に入る。
* * *
お蒲団を敷く間、我ながらこわがり過ぎって思ったけど、武市さんに、夜着の袖を捕まえててもらう。
・・・こうしててもらえれば、大丈夫。
でも、やっぱり一人では、眠れる気がしない・・・。
お蒲団に入れずにいるわたしに、
「・・ああ、僕がいると、眠れないかな」
武市さんは、気を遣って、わたしの袖を離そうとするから。
――思わず武市さんの手に、縋(すが)り付いてしまった・・・。
「・・っ、ご、めんな、さい」
夕方からずっと、絶対にお仕事の邪魔してる。
迷惑、かけたいわけじゃないのに・・・。
「蒲団に、お入り」
武市さんは、顔を上げられないわたしを覗(のぞ)き込んで、ふわり、と微笑む。
「こうして、手を離さずにいるから」
繋いでいない方の手で、お蒲団を捲(めく)ってくれるけど。
・・・やっぱり、ダメ・・。
「・・あの・武市さん・・・」
「ん?」
やさしい微笑みに励まされて、続ける。
「・・・手を繋いでるだけじゃ、こわくて・・お蒲団になんか、入れません」
「・・・・・」
「・・今日はずっと、お仕事の邪魔、しっぱなしで・・ごめんなさい・・でも、あの・・・」
必死の思いで、「今日だけ。今日だけでいいので、一緒にいてくださいっ」って、お願いを言葉にすれば。
武市さんは、きょとん、としてから、何故だか顔を朱(あか)くして・・・笑った。
繋いだ手は離さずに。
武市さんの胸に、おでこをぴったりつけて。
包みこまれる安心感に、やっと、こわさから解放される。
大きな掌に、背中をあやされて。
わたしは、幸せな眠りに、おちていった――。
"Don't Worry, Baby"了
2011.05.27.up at web拍手ss
2011.09.10.up at 愛を惜しみなく