大江戸幕末Tour2012@江戸三大道場+松陰神社

2012年10月27日〜28日に、ゆきかのこお姉さまと巡った幕末縁の場所です。
松陰神社からはいちこさん、靖国神社からはしずさんにもご一緒いただきました。
憧れのお姉さまと、二人の女神様(ミューズ)、本っ当にありがとうございました(≧∀≦)

キリ番20,000hit達成の感謝を込めて、2012年12月31日までお持ち帰り自由とさせていただきました。

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since 2012.11.29.
last up date 2013.07.11.


*土佐藩築地邸跡*
とさはんつきじていあと
土佐藩中屋敷
東京都中央区築地1-1-1 現在の中央区役所
反対角の煉瓦塀
・・・ここいら辺りの筈、と、ぐるっと一周してる途中にあった番地表示。左奥に京橋図書館がありました。
藩邸の説明板
なかなか見つけられなくて、図書館の方に教えてもらおうか、などど言いつつ、一回りしたところで、始点となっていた付近で発見(>_<。)
最後の段落にあった武市さんの説明は、のっけから"ついで"感満載デシタ→「なお、幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半平太は、ここから程近い士学館道場(現銀座一丁目、京橋公園辺り)に通っていました。また、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政三年(一八五六)から同五年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町(現八重洲二丁目・京橋二丁目の一部)にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです。」
因みに以蔵は、品川の下屋敷にいたと、かのこお姉さまにご教示いただきました。

*鯏河岸*
あさりかし
士学館(桃井春蔵道場)跡
東京都中央区銀座1-25〜27 現在の区営京橋プラザと京橋公園付近

この説明板は、京橋公園にありました。が、士学館の説明は"鯏河岸"のついで(ノ-"-)ノ~┻━┻
→「江戸時代後期には、江戸三大道場のひとつ、鏡心明智流の剣客桃井春蔵の「士学館」が置かれ、嘉永六年(一八五三)再版の「近江屋板切絵図」には、鯏河岸の南側に、「桃井春蔵」の名を確認することができます。」との説明でありました。

*千葉定吉道場跡*
ちばさだきちどうじょうあと
東京都中央区八重洲2-9 現在の富士屋ホテル

龍馬さんが修行した通称小千葉道場(本家は千葉周作の玄武館)。
それらしい道標を見つけられず、撮影しないまま通過。

*東京府庁舎*
とうきょうふちょうしゃ
土佐藩上屋敷跡
東京都千代田区丸の内3-5-1 現在の東京国際フォーラム

ここに老公とかが滞在していたわけなのですね。普段歩かない高見沢は、この辺りで既に足が上がらなくなり、左足先でばかり、蹴躓いてました(/_・、)
周囲を一周しましたが、それらしい説明板は見受けられず、已む無くこれを撮影した次第。

*千葉周作玄武館跡*
ちばしゅうさくげんぶかんあと
東京都千代田区神田東松下町22 旧千代桜小学校

調べてきた地図の場所になくて、かのこお姉さまと二人、"悪いオトコ"にかなり歩かされ、辿り着いたのは、ここでした。
あっ、赤銅鈴之助ゴッゴ、するの、忘れました・・・(/_・、)
玄武館道場跡
小学校の跡地、なので、門扉を開けて入ったら必ず閉めてね、という注意書きがありました。
千葉周作玄武館跡 東條一堂の瑶池塾跡
これは史蹟案内板です。西隣りで東條一堂が儒学と詩文を教える瑶池塾があったようです。
右文尚武
右半分は東條一堂先生瑶池塾の跡、左は千葉周作先生玄武館の跡、の顕彰碑。『大漢和辞典』を編纂した諸橋轍次揮毫で、密かに興奮しました(そして、最近、お世話になっている方から『諸橋大漢和辞典』全12巻索引1巻をいただいてしまいました(〃▽〃))。

*幕末維新─近代世田谷の夜明け─*
東急田園都市線三軒茶屋駅掲示の世田谷区立郷土資料館特別展ポスター
どうしても、"幕末"に反応してしまいました。

*松陰神社*
しょういんじんじゃ
東京都世田谷区若林4-35-1

一之鳥居扁額
1908(明治41)年建立の一之鳥居にかけられてたけど、地震で落下損壊したため、松陰神社入口の地面に置かれてました。
松陰神社の由来記
鳥居の左にあり、御祭神吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと 吉田松陰)の事績と創建由来が書かれてました。松陰先生が刑死した後、高杉さん達がここに改葬したのが、そもそもの発端。
松下村塾の説明板
ここに絵姿の松陰先生と、高杉さん達門下生の写真もありました。
松下村塾
萩にある本物の松下村塾を模して境内に建てたものだそうです。
吉田松陰墓所鳥居
桂さんが寄進した鳥居です。
吉田松陰墓所鳥居寄進者名
「木戸大江孝允」ってちゃんと彫ってあって・・・感無量でした((○(>_<)○))
吉田寅次郎藤原矩方墓
高杉さん達が改葬後、長州藩が朝敵とされた頃には破壊され、時代が落ち着いてやっと安息を得られたのかと思うと切ないものがありました。

*大村益次郎像*
おおむらますじろうぞう
東京都千代田区九段北2 靖国神社境内、九段坂上交差点付近


司馬遼太郎『花神』の村田蔵六=大村益次郎、です。
かのこお姉さま曰く「桂さんのパパ」(笑)
うん、至言です!

*神道無念流練兵館跡*
しんとうむねんりゅうれんぺいかんあと
東京都千代田区九段北3 靖国神社境内、靖国神社南門付近


「力の斎藤」、桂さんがいた道場です。
桂さんはここから天然理心流試衛館に助っ人に行ったそうなのですが、試衛館までは行きつけませんでした。

以下、初出時comment

2012年10月27日〜28日に、ゆきかのこお姉さまと巡った幕末縁の場所です。
松陰神社からはいちこさん、靖国神社からはしずさんにもご一緒いただきました。
憧れのお姉さまと、二人の女神様(ミューズ)、本っ当にありがとうございました(≧∀≦)

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後れ馳せながら、キリ番20,000hit達成の感謝を込めて、お出での皆様に万遍なくお楽しみいただきたく、この頁の写真は2012年12月31日まで、お持ち帰り自由です。


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