鏡の中の黄昏蝶1話〜27話
□鏡の中の黄昏蝶15
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「今の発音、ダメ。もっかい」
「う〜……」
このみはダンテにダメだしされて、悔しさで思わず唸る。
風邪が治って以来、このみはとにかくダンテと会話を繰り返していた。
その度に発音を矯正され、言い回しが下手なのを指摘され、このみは苦渋を味わう羽目になっている。
通学鞄の中に元々入っていた英単語帳の他に、短冊形の単語カードも買ってきて、自分で書き込んで語彙を増やす。
エンツォに貰った古い英英辞書も、既にあちこちラインが引かれたり、書き込みがされている。
「お前読み書きは割とできるのに、どうして聞き取るのと話すのはダメなんだろうな」
「……日本の、英語教育に言って」
「そうやって言い返せるようになった辺り、少しは進歩してると取っていいか?」
そう言ってダンテは意地悪く笑う。
このみは更に言い返そうと口を開くが――うまく言葉が出てこなくて、結局開いた口を閉ざすしかない。
それを見たダンテはまたニヤリと笑った。
なんだか、すごく負けた気分になる。
「い、いじわる」
悔し紛れにそう呟くと、ダンテは笑いながら、拗ねる子供をなだめるかのようにこのみの頭を撫でる。
「また一つ語彙が増えたな。やったな?」
「………………っ」
今のままでは到底口げんかでダンテに勝てる気がしない。
この一月ほどで英語だらけの生活にも慣れたけれど、まだまだ流暢な発音にはほど遠い。
意味を取り違えられたりすることもしょっちゅうだ。
このみにとっては毎日の会話が勉強みたいなもので、とても目まぐるしく忙しい。
しかもテレビでニュースを放映している時に、いきなり「今のニュースキャスターの言葉、要約してみろ」などとダンテに言われるので、
いつも気が抜けないのだ。
「はい、次」
ダンテに促されて、頷いたその時だった。
ノックもなしに事務所のドアが開けられ、このみは思わずそちらの方へ顔を向ける。
現れたのは、一月前このみと一緒に買い物へ付き合ってくれた、あのレディだった。
「こんにちは」
「レディさん!」
久しぶりに見る人物にこのみは顔を輝かせる。
それとは対照的に、レディは喜んでいいものかどうか困ったような顔で、このみを見た。
「……ほんとに帰れてないのね……」
「レディ、仕事終わったのか」
ダンテの言葉にレディは「ええ」と短く返した。
「わたし、紅茶、淹れる」
このみは立ち上がって、キッチンへと向かう。
そのこのみの姿を目で追いながら、レディはソファへと腰を下ろした。
「……なんだかんだ言って馴染んでるみたいね」
「まあな」
一週間前まではそうでもなかったことをダンテは言わない。
それにこのみが風邪を引いたことを知られたら、どんなに罵倒されるか……。
やがてこのみが紅茶を用意して戻ってきたのを見て、レディは礼を言う。
「ありがとう」
レディは紅茶の香りを楽しんでから、それを一口含んで息をつく。
「それで……このみちゃんの今後のことだけど……。どうするの?」
「どうするって……」
「だってこの先もダンテと一緒って……ちょっと問題じゃない?」
レディはちらりとこのみを見る。
このみは視線を受けて不安になったのか、ダンテとレディの顔を交互に見渡した。
「仕事も終わったことだし、私の家で預かってもいいんだけれど。このみちゃんはどうしたい?」
尋ねられて、このみは視線を落とした。
「あの、わたし……」
「俺んちがいいよな?」
口ごもるこのみに、ダンテがこのみの肩を抱き寄せながらそう言う。
このみは困ったような顔で、ダンテから離れようと身をまごつかせた。
「ちょっと、離れなさいよ。油断も隙もないんだから」
レディは呆れたような表情でダンテをこのみから引き剥がす。
このみは俯いて、呟くように言葉を紡ぐ。
「わたし……どっちでも、迷惑だから……」
「まぁだそんな事言ってんのか」
だって、ダンテの家だろうとレディの家だろうと世話になるのは変わらない。
生活費はどこからでも出るわけではないし、必ずどちらかの財布を痛めることになる。
「……ダンテは、預かってもいいって思ってるみたいね。最初は乗り気じゃなかったみたいだけど」
意外そうにそう言うレディに対して、ダンテはソファに深くもたれながら答える。
「だってこのみ、料理も掃除も洗濯も勝手にやってくれるし。ゲストルームだってわざわざこのみのために片付けたしな」
「それって、単に自分が楽したいだけでしょ……」
そう言って、レディは大きなため息をついた。