鏡の中の黄昏蝶28話〜

□30‐B.受け止められない現実と受け入れた身体
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* * *


このみはダンテの背中に手を回してきた。
自らの体にダンテを引き寄せるように、強い力で抱きしめられる。

予想外のこのみの行動に戸惑いが隠せず、固まるダンテに彼女が囁いた。


「わたし……何を選んだとしても、きっと後悔する」


このみの声も、彼女が背に回した腕も震えていた。
ダンテは息を詰めてこのみの言葉の先を待つ。

このみは気持ちを落ち着かせるように深呼吸をするが、時間を置けば置くほど感情が高ぶるのか、徐々に嗚咽が混じりだした。
それでもダンテはこのみを急かさず、ただじっとこのみが言い出すのを待った。


吐息が吹きかかるほどの至近距離の中、熱に浮かされたような顔で、このみは必死に何かを言おうとしている。
そんなこのみを見ていると、どうしようもなく愛おしくなって胸が痛い。


口を開けたり閉じたりして、何度も言いあぐねながら、このみはやっと一言を口にした。



「……何かを悔やんで、何かを捨てなきゃならないなら、わたしはダンテの傍がいい」



その言葉を耳にした瞬間、ダンテの胸にこの数年間の想いがどっと去来して、思わず涙が滲みそうになった。
このみは耐えきれずに黒い睫毛を濡らしながら、うわ言のように言葉を紡ぐ。


「ずっと……ずっとダンテと一緒にいたい。
もし、元の世界に戻ることでダンテに会えなくなるなら……帰れなくてもいい」


――どれほどの想いを込めて、この言葉を口にしたのか。


嬉しいのと、信じられないのと、愛おしい気持ちが混ぜこぜになって、耐えきれない想いを形にするようにこのみに口づけた。

先ほどのように、ただ唇同士が触れ合っているだけではない。
このみが自分を受け入れてくれているのが分かって、それが涙が出そうなほど嬉しい。


ずっと何が何でも帰るのだと言っていたこのみが、ようやく想いに応えてくれた。
それは同時に、彼女に多くのものを捨てさせることでもある。


互いに溶けそうなほど唇を味わった後、唇を離してダンテはこのみに囁いた。


「本当に、俺でいいのか」


確かめるように尋ねると、このみは頷いた。


度重なる口づけで上気した頬と、乱れた胸元にそそられる。
何て浅ましいのだろう。

先ほどまであんなに弱っていた相手に、今から行う仕打ちを考えると少しだけ気が引ける。
けれどこのみと想いが通じた今、我慢できる気も、する気もなかった。


このみの素肌に触れている手が熱い。
自分の体温なのか、このみの体温なのか、それともお互いの体温が混ざってこんなに熱いのか。

夏場の汗ばんだこのみの肌が、手のひらにぴたりと吸い付く。
その感覚をもっと味わいたくて、彼女の服の奥まで手が伸びた。

ただ触れているだけなのに、このみから出る吐息は徐々に甘いものに変わっていく。



「このみ……好きだ……」
「……わたしも……わたしもダンテが……」



その先はダンテの唇が塞いでしまって言葉にならなかった。
もうどうしようもないほど互いに求め合って、今まで我慢してきた分をぶつけるように舌を絡ませる。

微かに残る血の味が不思議と興奮させるようで、歯止めがきかない。



このみはずっと泣いていた。
たまに漏れ出る謝罪は、両親に対するものだろうか。


それほどの痛みを伴ってまで自分を受け入れてくれたなら、絶対に幸せにしてやろうと思った。
寂しい思いも、両親に対する後ろめたさも感じさせないほど、愛してやろうと思った。



夕焼け色に染まった部屋の中、一台のベッドの上で一つになった。
このみの影がない今、窓から照らされた夕日で浮かび上がったシルエットを見れば、一人で動いている自分の影は何て滑稽なのだろう。

それでもこのみの体は熱くて、触れれば鼓動も伝わってきて、涙混じりに甘い声を上げる様子は確かに生きているのだと実感できた。


重なり合った手も、白いシーツに広がるこのみの黒い髪も、何もかもが新鮮で輝いて見える。
家を出る前はあんなに不安に思っていたはずなのに、今はただ満たされた思いでいっぱいだった。


口づけをねだるように目を閉じたこのみに、唇を落とす。
何度も触れたいと焦がれたその場所にキスできることがこんなにも嬉しい。


目を開けたこのみがふわりと微笑んだのを見て、ダンテも微笑み返した。
小さな彼女の体を抱きしめながら、幸せを噛みしめる。


この時が永遠に続けばいいのに、と心底思った。


* * *


お互いの愛を確かめ合い、心地よい気だるさに包まれながら、ベッドの中でしばらく休んでいた時のこと。


「…………」


夜の帳が下りようとする中、暗がりに混じって近づいてくる無粋な気配をダンテは感じ取った。
窓の外で蠢くそれらをこのみが目にしないよう、ぴったりと窓とカーテンを閉める。


不思議そうに首を傾げるこのみの頭を優しく撫でた。
前から何となく疑問に思っていたけれど、このみは悪魔を感知する能力が落ちているらしい。


けれど、もうそんな能力は必要ない。


身支度を整い終え、ダンテは軽く体を伸ばした。
まだ体を動かすのが辛いこのみは、そのままベッドの中にいる。


ここから先は一人で行くつもりだった。
この世界に残るとこのみが決めた今、わざわざ危険な場所に連れて行く理由もない。



「このみ、すぐ戻る。だから……」
「……待ってる」



そのこのみの一言が何よりも嬉しくて、ダンテはその顔に照れ笑いを浮かべる。

このみに背を向けて部屋を出ようとした彼は、幸せにうかれるあまり、このみの表情に淀んだ色が現れたことには気づかなかった。





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