鏡の中の黄昏蝶28話〜
□33-A.幾つかの可能性を踏み潰す
1ページ/5ページ
* * *
理解が追いつかなくて、このみは呆けた顔で目の前の男を見つめた。
このみが知っているダンテの特徴を色濃く残した男は、そんなこのみに向けて苦笑する。
壁を破るほどの勢いで殴られたというのに、傷一つないところは彼が人間でない証だ。
それに、もうはっきりとは分からないけれど、悪魔に対して覚える胸騒ぎもする。
「……ネロ、カレンダーあるか?持ってきてほしい」
「俺がいない間にまた妙な真似すんじゃないだろうな」
呆れたような顔で、ネロは男の腕をがっちりと掴んでいる。
目線だけでキリエにカレンダーを持ってくるように伝えたネロは、男を警戒したままその腕を離そうとはしなかった。
やがてキリエが小さな卓上カレンダーを持ってきて、ベッドの上で呆然としているこのみに差し出した。
「西暦のところ見てみろ。今年何年だ?」
「……西暦?」
このみはカレンダーをまじまじと見やり……目が点になった。
違う。
このみがダンテの事務所で暮らしていた時から十数年経っている。
「それでも信じられないなら、新聞で確認するか?」
カレンダーから顔を上げたこのみは、男を見つめた。
「……やっぱりダンテなの?」
「そう。なかなかナイスミドルだろ?」
自分で言うか、とネロが毒づくのも耳に入らない。
このみはカレンダーとダンテを交互に見た後、ダンテに尋ねた。
「わたし、タイムスリップしちゃったの?」
「多分、そう」
あと十数年経てば、このみの知っているダンテは目の前の男のようになるのか。
このみは改めてダンテの顔をまじまじと見つめた。
無精ひげと、うっすら刻まれた皺が彼が生きてきた年月を物語っていた。
元々精悍な体つきをしていたダンテだったけれど、昔よりも更にがっしりしている。
彼に比べると自分が子供になったようで、このみは訳もなく顔が熱くなった。
「……この世界に来てたくさん非現実的な体験をしたけど、驚くなって言われると、無理……」
「まーそうだろうな」
声音は大人っぽくなってはいるが、口調は昔のまま一つも変わっていない。
そんな所を見ると確かにダンテだと思えるのだけれど、まるで他人になってしまったようでひどく落ち着かなかった。
ダンテが、自分の知らない人になってしまったようで、遠くに感じる。
それにスカートを捲られた意味が分からない。
このみはシーツで裾を押さえつけながら、恥ずかしさに涙の滲む瞳で警戒するようにダンテを見上げる。
ダンテは肩を竦めて、「悪かった」と謝った。
「……傷跡がないのは確かめたから、もうしない」
「あの、何であんなことしたの?」
「…………だから、確かめたかったから」
何を確かめたかったというのか。
このみは訳が分からず、泣きそうな気分になりながら俯いた。
大体ダンテや同性であるキリエならともかく、ついこの間あったばかりのネロにまで見られたと思うと羞恥心で潰れてしまいそうだ。
ダンテは何か物言いたげな顔でこのみを見つめていたが、
素直に口に出すのもはばかられるようで、口を開くことなく黙っていた。
「……あの、質問してもいいかな?」
……次から次に問題が起こりすぎて、処理の追いつかない頭が痛い。
このみはこめかみを押さえながら、湧き上がる疑問を一つずつ口にしていく。
「影がないせいで、危ないところだったって聞いたんだけど、わたしはどうして助かったの?」
「……お前に俺の血を飲ませた。今は俺の魔力でお前の生命力を補っているような状態だ」
「ダンテの……血?」
だから目を覚ましたあの時、口中に鉄の味を覚えたのか。
一人でこのみが納得していると、ネロとキリエがあらぬ方向を向いていることに気が付いた。
……どうしたというのだろう。
ダンテの血のおかげで助かった、という思いが先行して、このみは"どうやって血を飲ませたか"という考えまで至らなかった。
ネロとキリエにとって、そこが一番衝撃的な事実だったのだが。
「……このみ、説明しなくても、お前知ってるだろ?」
「え?どういう意味?」
首を傾げるこのみを見て、ダンテは不可解な表情を作る。
このみもまた、眉を寄せそうになったところで、ふとあることに気が付いた。
「もしかして、他の悪魔の血でも、生命力を補うことってできるの?」
「悪魔の血は体外に出た時点で結晶化する。液状で摂取するのは、特定の悪魔以外だと難しいだろうな」
「――……でもダンテの血は、固まったりしないよ」
「それは、俺が半魔だから」
このみは、2日間無事だった理由に気が付いた。
魔界でバージルと悪魔の群れをやりすごしたあの時、事故で彼の血を飲んでしまった。
思えば、あれがなければこのみは今頃無事ではいられなかっただろう。
「……よく、体がもったな。前の時は、もっと早く……」
意味深な言葉を呟くダンテに、このみは本当のことが言いだせなかった。
バージルが魔帝に挑もうとするのを止められなかったことを正直に話すのも気が引けたし、
事故とは言え彼の血を飲んだことに何故か後ろめたさを感じて、不思議と告白できなかった。