鏡の中の黄昏蝶 Another Story

□1.君が生きる明日を知りたい
3ページ/3ページ

* * *


ふと、温かなものが頭の下にあることに気がついて、バージルは目を覚ました。
目を開けて一番に飛び込んできたのは眠っている女の顔で、どうやらその女に膝枕されていたようだった。


一気に覚醒したバージルはその場から飛び起きて女から距離を取る。
とっさに左腰に手をやるが、そこに閻魔刀はなく、女が大事そうに抱えていることに気がついた。

もう動けないほど魔帝に痛めつけられていたはずだったのに、起き上がれる程度に体力が戻っている。


疑問に思ったが、まず閻魔刀を取り戻すのが先だった。

バージルが動いたので、女も目を覚ましたようだ。
まぶたがゆっくりと開かれて、瞬きをひとつする。


「バージルさん……?目が覚めたんですか?」


バージルは答えない。

女の顔がバージルを探すようにゆるゆると動く。
その動作にバージルは違和感を抱いた。

目の前にいるのに、まるで見えていないような……。


「怪我は、大丈夫ですか。どこか痛いところはありませんか……?」


女の瞳の色が灰色に濁っている。
バージルが意識を失う直前、自分と似た空色の瞳から涙の雨がこぼれていたことを思い出した。


「目が見えていないのか」


ポツリとバージルが呟くと、女はようやくこちらに顔を向けた。
けれど視線が合うことはない。

女は無言で、弱々しく微笑んだ。

抱えていた閻魔刀をバージルに向けて差し出す。
それを受け取ったバージルは、その場から立ち去ることはなかった。

座り込んでいる女を見下ろして、静かに口を開く。


「俺の傷を治したのはお前か?」
「…………」
「……悪魔の残り香がする。ここに他の悪魔がいたのか」


女はゆっくりとうなずく。
バージルは呆れたようにため息を吐いた。


女の足元に緑色の鉱石の欠片のようなものが散らばっていた。

魔界で時折見かける、癒しの力を持った石だ。
それが体の傷を癒したのだろう。

そして、そのために――


「代償に視力を取られたのか」


やはり女は答えないが、それが肯定だということは分かりきっていた。

女はバージルの問いかけから逃れるようにうつむく。


何故、この女はそんなことをしたのか。
自分を助けて一体どんなメリットがあるというのか。

自己犠牲の果てにあるものなど何もないというのに。


バージルは、幼い自分と弟を庇って死んでいった母を思い出した。
目の前にいる女とは似ても似つかないのに、何故こんな時に思い出すのか。

母のことは思い出したくない過去だった。
己の弱さを見せつけられるようで。

そして目の前にいる女にも腹が立った。

こんな脆弱な――人間に助けられたなんて、自尊心が傷つけられるようだった。
恥だった。


それでも、何故か女に対して閻魔刀を振るうことはできなかった。


「――その目で、どうやって魔界で生き残るつもりだ」
「それは……」


女は言葉の先を紡げない。

何も考えていなかったことにバージルは呆れる。
馬鹿だとすら思う。
他人を助けるために、自分の命をかけるなんて。


溜息を一つ、吐き出す。


バージルは閻魔刀の鞘の先端を女に向かって差し出した。
突然空を切った音に女は驚いて身を竦ませる。


「立て」


バージルの言葉に、女はおずおずと鞘に向かって手を伸ばす。
辺りを探るように動いた女の手が、鞘に触れた。


「……生きて人間界に戻るつもりがあるなら、立て」


女の手が鞘を握り締める。
バージルは鞘を手元に引いて、女を立たせた。


――誰よりも本当に愚かなのは、自分だ。



* * *


目が見えない人間を連れて歩くのは実に煩わしかった。

バージルの足音を頼りについてくる女は、足を取られて何度も転倒した。
その度に足を止め、女が立ち上がるのを待っていたが、もともと気が長い方ではないのでだんだん苛立ってくる。

バージルは自分の右手で、もたもたと立ち上がろうとする女の手を取り、そのまま歩き出した。

もちろんこれではとっさの時に素早く閻魔刀を抜くことができないし、他人と手を繋いで歩くなど御免被りたかったが、これが一番歩くのに効率が良いので仕方がなかった。


女を置いていけばいいことは分かり切っている。
けれどここで置いていけば、母を失った時のような、惨めな気持ちになるような気がして、バージルはどうしてもそれができなかった。


半分悪魔になりかけている女からは、弟の魔力と血のにおいがする。
女の足元には影がない。

色々と気になることはあったが、まずはあの窪みから離れることが先だった。
あそこは悪魔に場所を知られている。

奇妙なことに、女の視力を奪った悪魔はもうこちらに興味はないようで、姿を現わすことはなかったが、他の悪魔にバージルたちがいることを知らされると面倒だ。
この女が聖水で悪魔が入ってこられないようにしていたが、入口を固められると身動きができなくなってしまう。

バージルの体力も万全とは言えない。
閻魔刀の刀身にも亀裂が走っていて、いつまで保つか分からない。


ましてや、こんな……足手まといがいる状態で、まともに戦えるわけがない。


そこでふと、バージルは気が付いた。
そう言えばこの女の名を知らない。

いや、正確に言えば……一度聞いたが、覚える気がなかったのですぐに忘れてしまったのだ。


「お前……名前は」


繋いだ手の主に向かって話しかけると、やや間を置いて返答があった。


「……このみ。伊勢このみ」
「……バージルだ」


名乗らずとも彼女は既に知っていたようだが、一応礼に則ってそうする。

バージルが名乗ると、このみは何が嬉しいのか、色のない瞳を細めて、笑った。





***あとがき***

本編でネロアンジェロを出した時、ふとバージルと魔界脱出する話=バージル生存ルート書きたい!となって生まれたのがこのお話です。
ご都合展開てんこ盛りですが、楽しんで書いてます。

ヒロインに襟持って引きずられるバージルのシーン、冷静に情景を思い起こすとギャグですね。
本人たちは至って真剣なのですが!

ヒロインがまたもや大変なことになっていますが、どうか彼らの動向を見守ってやってください。


次の章へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ