鏡の中の黄昏蝶 After Story

□む 無理、もう限界
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* * *


シャワーを浴びていたこのみは、己の左手に走る傷跡を眺めていた。


退院してから更に数週間経ち、動かすには支障ないほどにまで傷は回復していた。
もはや包帯も必要ないくらいだし、すでに完治したと言ってもいい。

抜糸が済んである程度傷が塞がると、そこから左手の刺し傷が治癒するのは早かった。
ただ、ダンテほどの回復力はこのみにはないので、傷や抜糸の痕は手に残っている。

ナイフが手を完全に貫通しておきながら、神経が無事だったのは奇跡的だと医者は言っていたが、それはダンテの魔力の影響のおかげに他ならない。

右手右足も、もはや骨折していたのが嘘だったかのように、すっかり元どおりだ。
本当にダンテの魔力様様である。


とは言え、傷跡をダンテにさらすのはあまり気がすすまなかった。


傷をつけたのは自分だし、今更後悔するわけではないが、やはり女としては体に傷が残ることを嬉しいとは思えなかった。
傷跡を隠すために包帯を巻くかどうか、自室で考えようと思ったこのみは、とりあえずそのまま体を拭いてパジャマを着る。


浴室を出ると、ダンテはソファーに座って雑誌を眺めていた。

風呂から出たこのみに気がつくと、ソファーの自分の隣をポンポンと叩いて、このみを呼ぶ。
すぐに自分の部屋へ行こうと思っていたこのみは、ほんの少し困った顔を浮かべたが、素直にダンテの隣に座ることにした。

腰を下ろした途端、ダンテの口づけが頬に降ってくる。


「このみ、良い匂いがする」
「お風呂に入ったばかりだもん」


耳元を嗅がれて、このみはくすぐったそうに笑い声を上げる。

それからしばらく、ダンテとこのみはソファーに並んで座って、雑誌を読んだり、テレビを見たりして思い思いに過ごしていた。


雑誌を読み終えたダンテは、それをローテーブルに投げ出すと、テレビを見ていたこのみの肩に寄りかかってくる。
これは"構って欲しい"の合図だ。

ぐいぐいとこのみに頭を下げて押し付けてくる彼が可愛くて、このみはその銀色の髪を撫でた。

その手に包帯が巻かれていないことに気が付いたダンテが、ふと真面目な顔つきになってこのみを見つめる。


「このみ……手、もういいのか?」
「あ……うん。もうすっかり元気だよ」


ダンテはこのみの手を取って、傷跡をまじまじと眺めた。

あまり跡を見られたくなくて、このみは思わず腕を引こうとする。
ダンテはその仕草に何か思うところがあるようだった。


「……痕、残るのか?」


渋い顔を作って尋ねてくるダンテに、このみは本当のことを言うべきか否か迷った。
けれど、ここで誤魔化したところでのちのち跡が消えるわけもなく、結局このみは頷いた。


「……うん。痕が残るのは、残念だけど……これがあれば、お父さんとお母さんのこと、忘れずに済むと思う」


このみがそう言うと、ダンテはこのみの手を取って、その傷跡に口づけた。

手の甲に触れた柔らかな唇が、謝罪の言葉を紡ぐ。


「……痛い思いさせて、傷まで体に残って……すまない」


ダンテが謝る必要なんて、ない。

傷をつけたのはこのみ自身だ。

もう手は痛くないのに、まるでこのみが受けた痛みを全てを引き受けるかのように、苦しそうな顔だった。
そんなダンテを見ていると、このみの胸までぎゅっと締め付けられる。


「ダンテ、そんな顔しないで。こうするって決めたのはわたしなんだから、気にしなくていいんだよ。それに、こんなに治りが早いのダンテのおかげなんだし」
「……それ、俺っていうか、パラレルワールドの未来の俺だろ?」
「う……それは、そうなんだけど」


パラレルワールドで、未来のダンテから度々血液を分けてもらっていたことをこのみは思い出す。

記憶にないが、口移しまでされたらしい。

このみの目が泳ぐのを見て、ダンテはそれまでの沈痛な面持ちを訝しげな表情に変える。


「そういや、前から気になってたんだけど。未来の俺に魔力を分けてもらったって、どういう風にするんだ?お前、前もはぐらかして答えなかっただろ?」
「えっと……言わなきゃだめ?」
「もしかしたら、お前がまたこの先俺の魔力が必要になる場面があるかもしれないだろ?」


できたらそんな日など来ないでほしいものだが、ダンテの言うことにも一理ある。
このみは彼に事実を伝えるべきか判断に困って、口を開けたり閉じたり繰り返した。

言い淀むこのみを見て、ダンテはますます眉間の皺を深くする。
ダンテの不信を買っていることに気付いたこのみは、覚悟を決めて、とうとう口にした。


「あの……、血を……」
「ち?」
「血液に、魔力を込めて……それをわたしに……」
「……飲ませたっていうことか?」


このみは頷く。
ダンテは苦々しい顔で、何か考えるように下を向いた。

と思いきや次の瞬間、イタズラを思いついた子どものような顔でダンテは顔を上げる。


「なるほどね、そういうことか。参考になった」
「な、何がなるほどなの?」


何となく、ダンテが良からぬことを企んでいるような気がして、このみはソファーの上でじりじりとダンテから距離を取った。
ダンテは笑顔でこのみに距離を詰めてくる。


「このみさ、血液なんて飲むの嫌だったろ?まずいし、ばっちいし」
「え……うーん、でもそうするしかなかったし……」
「パラレルワールドの俺も、もっとうまいことやってりゃ良い思いができたかもしれないのにな」


ダンテの言葉が理解できなくて、このみは首を傾げる。

ソファーにはもう後ろに下がるだけのスペースは残されていない。
それでもダンテは尚このみに迫ってくる。

顔の前に、影ができる。
意地悪な顔つきのダンテが、すぐ目の前にいた。

このみの肩を掴んで、ダンテはこのみに顔を寄せる。
彼の青い瞳の中に、自分が映っているのが見えた。


ダンテの唇が、このみの唇に触れた。


彼の舌がノックするように、このみの唇をつつく。
思わず口を開けたこのみの中に、ダンテの舌が入り込んできて、口中を犯すように這い回る。

まるで口をまるごと食べられているかのような、今までにないくらい激しいキスだった。
息が、できない。

このみが抵抗の意を示すために、彼の胸に手をついても離してくれなくて、それどころか少し強引に、このみの肩を掴んだダンテの手が体重をかけてくる。

このみの体はソファーへ押し倒された。
一瞬、唇が離れてやっと呼吸ができたが、すぐにダンテの唇で塞がれてしまう。

唇同士が、唾液で濡れた音を紡ぐ。
それがどうしようもなく恥ずかしくて、息ができないのが苦しくて、このみの目の端に涙が浮かんだ。

ダンテの口から、彼の唾液が少しずつ送り込まれて、このみの口の中に溜まる。
それを嚥下すると、ダンテはようやく満足したのか、やっとこのみを口づけから解放した。


息を荒げるこのみに向かって、ダンテは揶揄するような口調で言う。


「……魔力を込めさえすれば、別に血じゃなくてもいいんじゃないかって。例えば、唾液とか」
「なっ、なっ……!!」


あまりの言葉に絶句するこのみを見て、ダンテは面白そうに笑う。


「もっと言えば、経口摂取じゃなくてもいいかもな。例えば、せいえき……」


言いかけたダンテの口を、このみの手が塞ぐ。
ひどい、ひどいセクハラを受けている気がする。


「あ、これは口でもイケるか」
「まだ言う!?」


真っ赤な顔で怒り始めたこのみに、ダンテはますますからかうような笑みを深くする。
さっきまで、あんなにしおらしい顔をしていたというのに、それまでの彼はどこへ行ってしまったのだろう。


「まあ、もしそんなことしてたら……いくらパラレルワールドの自分とは言え、ぶっ殺したくなるからな」


不穏な言葉を吐くダンテに、このみは冷や汗を浮かべる。
この様子なら、本当に時空も世界線も飛び越えて、自分自身を殴りに行きそうだ。
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