鏡の中の黄昏蝶 After Story

□め めちゃくちゃ好き
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* * *


夜、このみがリビングで読書をするのにブランケットを膝にかけている姿を見て、ダンテは「ああ、秋だな」と思った。
読書の供に置いているドリンクが、湯気を立ち上らせているコーヒーだったり、カフェオレだったり、ココアだったり──その時の彼女の気分によって中身は変わってくるが、それを見ていると、ますますそう思う。


ここ最近日が暮れると、随分肌寒くなった。

この間まで風呂上りはいつも上半身裸で室内をうろついていたダンテも、さすがに服を着るようになった。
そんなことで季節の移り変わりを感じるのは自分でもどうかと思うが、事実そうなのだ。

朝、顔を洗う時の水が冷たく感じたり、空を流れる雲の形が夏と違っていたり……そんな些細な変化を感じる余裕ができたのだと、そう思う。


今年の夏は、色んなことがあった。
このみがこの事務所に居候するようになってから様々な事件があったが、この夏ほどの大事件はそうそうないはずだ。
それは彼女と……自分の人生の転換期と言ってもいいだろう。


ダンテは本に視線を落とすこのみの顔を眺めながら、障害を乗り越えてやっと手に入れた、彼女との穏やかな時間を味わっていた。

本を持つこのみの左手の甲には、まだ包帯が巻かれている。

──あの包帯が取れる日が待ち遠しい。
ちょっぴり、いや大いに下心を交えつつ、ダンテはそう思う。


彼女が読んでいるのは、今をときめくミステリー作家のシリーズものだ。
この秋に新刊が出るらしく、このみは復習のために既刊のシリーズを読み返しているらしい。

この世界へ彼女がやってきて3年、読書のスピードも随分と速くなったものだが、英語を母国語としているものからすると、まだまだゆっくりな方だ。
辞書を手元に置いて、それを開いて少しづつ彼女は本を読み進める。
それでもたまにこのみが理解できない単語や文脈が出てきて、その意味を問われるので、全てを読んでいないはずのダンテもその小説の中身を大体把握してしまった。


「ふう……」


このみが深くため息をついて、ソファーにもたれかかった。
どうやら最後まで読み切ったらしい。


「あ」


このみが本を閉じようとした時、そこから挟んでいた栞が落ちて、するりと床の上を滑ってダンテの足元へやって来た。
それを拾おうと手を伸ばしたこのみよりも早く、ダンテはその栞を拾い上げる。


いつだったか、彼女と一緒に秋のイチョウ並木を通りがかった際に拾った、一枚のイチョウの葉でできた栞だった。
このみの髪にくっついていたそれをダンテが取ってやったのだ。
少し歪んでいて不細工な形だけれど、それがいいのだと、そう言って照れて頬を染めた彼女の顔を思い出す。


「まだ持ってたんだな」

「……思い出だもん」


イチョウの栞をつまんでくるくると回すダンテに、このみは少しはにかんで笑う。
あんな些細なやりとりも、彼女にとっては栞にしてまで取っておくほど大切な思い出なのだと思うと、胸の内がじんわりと温かくなった。

ダンテは彼女に栞を返してやって、このみが先ほどまで目を通していた本を持ち上げて広げた。


「新刊の発売日、明日だっけ?」

「そう!本屋さんでもう予約してあるんだ。明日取りに行こうと思うんだけど……ダンテも一緒に行く?」

「ああ。読書の秋だしな……俺もなんか買おうかな」

「漫画だったり、エッチなやつだったりする本かな?」

「本は本だろ?」


揶揄するこのみにダンテも軽口を返し、二人で顔を見合わせて笑いあった。


* * *


翌日、このみは本屋で予約していたミステリー小説の新刊を手に入れて満足そうだった。

帰り道を歩きながら、早く読みたいと紙袋から本を取り出しては何度も表紙や帯を眺めるといった行動を繰り返している。
そんな彼女を見下ろしながら、ダンテは呆れ顔を作る。


「おいおい、新しいオモチャを手に入れた子どもかよ」

「だって、今回は探偵の助手が一人で事件に挑むんだよ!絶海の孤島が舞台で、すっごく楽しみで……!」

「……またベタな設定を。ほんと、仕方ない奴だな。そんなに読みたいんならどっか座れるところ探すか。確かこの先に公園が……」


そう言いながら、ダンテははたと気づく。
首を巡らせたそこにあったのは、以前このみと歩いたあのイチョウの並木通り。

このみもそれに気が付いたのか、こちらを見上げてそっと微笑んだ。

どちらからともなく手を取り合って、その並木通りに吸い込まれるようにして歩いて行く。


「もうすっかり紅葉しているね」

「ああ」


秋の青空を遮るように、イチョウはその温かみのある色の枝葉を伸ばしていた。
それを二人して見上げながら、ダンテはこのみの右手を引いてゆっくりと並木道を歩いて行く。

風が強く吹くと、ほんのり肌寒い。
ダンテはこのみの手が冷えないように、けれど骨折していた右手に負荷をかけない程度に、彼女の手をきゅっと握る。

時折、風に煽られてはらはらと散っていくイチョウを見てこのみは目を細めた。
そうして一人で何やら気恥ずかしそうに笑うので、ダンテは疑問に思って首をかしげる。


「前、ダンテと一緒にここを歩いたことあるでしょ?あの時、わたしね……」


イチョウを見上げたまま、このみは言う。

自分と揃いの空色の瞳の中に、イチョウの黄色が映っている。
彼女の瞳の中にも秋があるのだと、ダンテはこのみの言葉を聞きながらぼんやりとそう思った。

イチョウに向けていた視線をそのままダンテに向けて、このみは頬を紅色に染めて、微笑んで言う。


「来年も、きっと綺麗に紅葉してるだろうね、って言ったんだけど──本当は、来年も一緒に見たいね、って言おうとしてたの」

「……そう、だったのか?」


あの時は何ともなしにこのみの言葉に頷いたような気がするし、今このみに言われるまで会話の詳細など覚えていなかった。


そうか、あの時このみは……そう思っていたのか。


今になってじわじわと嬉しさがやってきて、ダンテの口元がふにゃふにゃと頼りなくなる。
こんなに締まりのない顔、このみに見せられないと思ってダンテは口元を手で覆って明後日の方角を向く。


「あの時、わたしは絶対元の世界に帰るんだ、来年も一緒にイチョウを見ようだなんて、何を自分は考えてるんだろうって、そう思ってた。
でも、これからは自分の気持ちに嘘をつかなくていいんだよね。来年も、その先も……ずっとずっと未来まで、ダンテと一緒。
だから……来年も、またこのイチョウ並木を見に来ようよ。わたし、ダンテと一緒に何度でも見に来たい」

「う゛ん……」


何というかもう、こみ上げてくる思いで胸がいっぱいいっぱいになって、ものすごく情けない声で頷くことしかできない。

自慢できるようなことではないが、これまで彼女以外の女とそれなりに付き合いもあった。
気に入った女を口説く甲斐性も持ち合わせているつもりだし、その逆で女に言い寄られたこともあるのに、今のこの余裕のなさはなんなのだろう。


「ダンテ、なんで明後日の方見てるの?こっち向いて」


そんなダンテの心中など露知らず、このみはダンテの襟元を引っ張る。
仕方なしに、唇を精一杯噛みしめてにやけ顔を抑えながら、ダンテはこのみの瞳を見つめた。


イチョウの黄色が映っていた彼女の瞳の中にいるのは、今は自分だけ。



「わたし、あの時から……それよりも前から、ずっとダンテのことが好き。これからも、ずっとダンテのことだけが好き」



少し照れながら、このみは言う。

かつて、誰かからこんなにも純粋で真っすぐな言葉を向けられたことがあっただろうか。
けれどその飾らない言葉こそ、あまねくこのみの心そのものなのだろう。

結局このみも羞恥に耐え切れなかったのか、ダンテから視線を外すとやけに軽妙な口調で言う。


「……ジャンを倒した時、色々……いっぱいいっぱいだったから、その、ちゃんと告白しようと思って!えっと……やり直し、のつもり」


彼女の耳は真っ赤で、その頬も赤く染まっていて、繋いだ手には汗が滲んでいた。
照れ隠しのつもりなのか、繋いだ手をぶんぶん振りながらこのみは並木道を歩き出す。


イチョウが敷き詰められたふかふかのそこを行くこのみに引っ張られながら、ダンテはぼそっと声を漏らした。


「このみ、何で今、そういうことを言うんだよ……」

「えっ?」

「も────!!ほんとにこの子はも────!!あ────めちゃくちゃ好き────!!」

「えぇぇっ!?うわぁ!?」


ダンテは周囲の視線を憚ることなく、このみの脇の下を持って抱き上げ、高い高いの要領でこのみとその場でくるくる回る。

そこは半人半魔の常人ならざる力。
成人女性をいとも簡単に持ち上げた上に、ダンテに振り回されるこのみの足は、今やダンテの頭以上の高さにあった。
単に恋人の女性を持ち上げて浮かれているだけなのに、サーカスや大道芸と勘違いした周囲から、呆れを通り越して感心の拍手が沸き起こる。


「ダンテ!酔う!高い!怖い!!」


このみの涙交じりの悲鳴で、ダンテはようやくこのみを地上に下ろした。
それでもまだこの溢れる想いを抑えきれなくて、ぎゅっと彼女の体を抱きしめる。


結局、強く抱きしめられて酸欠になったこのみが、タイムとばかりにダンテの胸を叩いてきたことで、ダンテはやっとこのみの体を解放した。
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