鏡の中の黄昏蝶28話〜

□29‐B.痛みを忘れる苦渋の方法
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* * *


血まみれのこのみが人目に触れないよう、庇いながらダンテは家路を急ぐ。
幸いなことに夜の帳が二人の姿を隠してくれたので、気を失った彼女を運ぶのもそれほど苦労しなかった。

帰る途中で、パトカーや救急車のサイレンの音がしきりに鳴り響いていたのを覚えている。
まるでこのみを責めるような音だった。


このみを背負った背中がじんわりと汗をかく。
物がなかったので、仕方なく自分の服の裾で血に塗れたこのみの顔を拭ったのだが、
その血の臭いが汗と混じって不快だった。



事務所にたどり着いたダンテは、未だ目覚めないこのみをソファーに下ろして、濡らしたタオルでこのみの顔を綺麗に拭いてやった。
血を丁寧にふき取って明るい照明の下で見たこのみの顔は、真夏の蒸し暑い夜だというのに、驚くほどに白い。


このみは自身に付着した血を指して「わたしの血じゃないの」と言っていた。
この血液がこのみを混乱させる原因だということは考えるまでもない。


頭から被ったのであろう血液は、このみの服の肩をまだら模様に汚している。
彼女にこれを晒すわけにはいかないと思ったダンテは、躊躇せずにこのみの服を脱がしにかかった。


自分でも驚くほど冷静だった。
こんな状況でなければ理性は振り切れていたかもしれないが、目的はこのみの肌を見ることではなく、服を脱がせることにあったから。

ただ無心で血で汚れた服を脱がせ、とりあえず着れるものなら何でも良いと思って、その辺にあった自分の服を着せる。


脱がせた服はもう処分してしまおう。
今なら丁寧に洗えば落ちるかもしれないが、このみを放ってのん気に洗濯などしている気分などではなかった。


服を着替えさせた後は、血で固まったこのみの髪の毛をなんとかしようと奮闘したものの、
濡れたタオルだけでは乾いたそれを落とし切るのは難しかった。

気を失ったこのみを抱えて風呂にでも入ろうかと真面目に考えていたその時、このみが泣きながら目を覚ました。
潤んだ瞳がダンテを見上げる。


「このみ、気が付いたか……?」
「ここ、は……」


視界に入ってきたのが見慣れた事務所であることに気が付いて、このみは顔を歪めた。
一気に気が緩んだのか、堰を切ったように泣き出す。

自分がいつの間にか着替えさせられていたことにも気が付かないほど、彼女は気が動転していた。
ダンテの服を掴んで、言葉にならない言葉を訴える。


「ダ、ダンテ……ダンテ……ッ」
「落ち着け。ゆっくりでいいから、俺に何があったのか話してみろ」


泣きじゃくりながら支離滅裂な言葉を繰り返すこのみから、何とか事のいきさつを聞き取ったダンテは、彼女に何が起きたのかを把握した。



このみが同郷の人間に会ったこと……。
悪魔が憑いた蝶に襲われているその人間を置いて、逃げたこと……。
その途中で、このみを追いかけてきた人間がトラックにはねられて死んだこと……。



泣いてひたすら謝罪ばかり呟くこのみを、ダンテはもう見ていられなかった。
このみを責めているのは他でもない彼女自身だ。

その瞳からとめどなく涙を流しながら、このみは顔を覆って泣き崩れる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
「このみ、大丈夫だから……それは……しょうがなかったんだ」


その背を必死に撫でながら、ダンテはこのみに言い聞かせるように言葉を口にする。


トラウマになるほど蝶が苦手になってしまったこのみが、男を助けず逃げたことは仕方のなかったことかもしれない。
けれどその男が死んだ理由に、このみに責任が一つもないとまでは言い切れなかった。

それでも、ダンテはこのみをこれ以上追いつめるような言葉をかけることはできない。


……結果的に一つの命を奪うことになってしまったこのみを、庇うように、慰めるように抱きしめる。

いつもは甘い良い香りのするこのみからは、拭いきれない血の臭いがした。



「このみのせいじゃない。それは事故だったんだよ。
追いかけられて、怖かったんだよな。俺が、もっと早く着いてたら……」


魔力の糸でこのみの身に何か起こったのだと感知しても、
彼女の所へ辿り着くまでにタイムラグが生じるのはどうしようもないことだ。

今回の件も、あれ以上早く駆けつけることは不可能だった。


けれど、このみが少しでも楽になれるのなら、自分のせいにしてくれればいいと思った。
彼女に言い聞かせるように、ダンテは何度も「あれは事故だった」「仕方なかった」と繰り返す。



どれくらいの時間、その言葉をかけ続けてこのみを抱きしめていただろう。


このみがすすり泣く音にまぎれて、時計の針の音がする。
それに気づいて時間を確かめると、事務所に戻ってからもう数時間ほど経っていた。


いつも彼女を抱きしめる時は幸せな気持ちでいっぱいだったのに、そんな日々が急激に遠くなったように感じる。
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