鏡の中の黄昏蝶28話〜
□31‐B.鏡の中の世界は手に入らない
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日が落ち、宿を出たところで蝶の群れに襲われた。
この図ったようなタイミングからして、ジャンも恐らくこのみを捜しているのだろう。
(捜さなくても、こっちから出向いてやるさ)
恐怖のあまり動けなくなりそうなこのみを庇いながら、それでもダンテは進むことを諦めなかった。
半ば自棄になっているのだと自分でも思う。
夕方に血を分け与えて以来、このみの体調は安定している。
日が変わり、満月が不気味に輝く今では、もう自らの足で歩けるまでに回復していた。
そんなこのみを連れて、彼女と必要最低限の言葉を交わしながらダンテは進む。
夕方以降、互いに顔を合わせることが気まずい。
このみの顔を見ると、柔らかな唇の感触と、逸らされた横顔が思い出されるのだ。
それはこのみも同じなのか、目が合いそうになるとわざとらしい程視線を逸らされる。
照れ隠しとか、そういう可愛いものではない。
「あなたを受け入れるつもりはない」のだと、このみの横顔は物悲しげに語っていた。
……もうすぐ、このみがいなくなってしまう。
他でもない、自分が彼女をジャンの元に連れて行く。
交わした約束を違えるようなことはしない。
絶対に……心に決めたから。
このみを家族に会わせてやりたいという思いは本物だ。
家族を無くした自分と同じ気持ちを味わわせたくない。
それが彼女を助けようと思った自分の原点じゃないか。
思い出せ。
自らに言い聞かせるように、ダンテは糸の先に向けてひたすら足を動かした。
閑散とした町の先、小高い林を通り抜けた所にある屋敷が目的地だ。
月の明かりも届かないような木々の中をなんとか抜けて、その場所を目指す。
リベリオンを一振りするだけで絶命する蝶の群れをいちいち相手にするのも煩わしく、ダンテはこのみを抱えて屋敷の内部へと侵入した。
扉を閉めて蝶の追っ手を遮断すると、ダンテに抱えられていたこのみはほっと息をついた。
そんなこのみの体温と、柔らかな肢体の重みがダンテの心を苦しめる。
(……意識するな。諦めるって決めたんだろ)
震えそうな腕でこのみを下ろして、ダンテは屋敷を見渡す。
ロマンの欠片もない、埃臭い屋敷を観察していると、少しだけ冷静になれた。
「オンボロ屋敷だな……」
十数年ほど放置されているのか、屋敷の内部は荒れ果てている。
肝試し目的で誰かが入り込んだのか、元は白かっただろう壁は低俗な落書きで汚されていた。
その落書き跡も随分古いもので、ペンキやスプレーで書かれたそれはところどころ剥げかけている。
家具や調度品は、自然に劣化したものなのか、はたまた故意に壊されたのかは判断できないが、多くが砕けていてひどい有り様だ。
元は華美だったろうそれらは、当時の華やかさなど見る影もない。
経った年月を表したかのように、部屋の片隅には埃が降り積もっている。
ここの家主は何の未練も持たずに屋敷を捨て去ったのだろうか。
それに加えて……。
「……何だか、変な臭いがするね」
このみの言葉通り、何かが腐敗しているような、独特の臭気が鼻につく。
悪魔が放つ特有の異臭ではない。
クリスマスイブのあの腐乱死体を思い出させる臭いだ。
「ネズミかなんかだと思っとけ。俺から離れるなよ」
「…………うん」
まだ、人間の死体があると決まったわけではない。
けれどそれがある可能性は高い。
近頃多発していた行方不明者の事件が、ダンテの頭の中を過る。
それとも、このみと同じようにこの世界へやってきた人間か。
静まり返った家屋だが、ダンテがジャンに付けた糸は家の奥に向かってまっすぐ続いていた。
このみはボロボロの内部を見渡しながら、自分の両腕を抱き締めている。
「ここ……すごく嫌な感じがする」
「……ジャンの影響かもしれないな。魔力が充満してる。この屋敷全体が魔界に近いのかも」
「ううん、悪魔の気配とか……そういうのとはまた違うの。何かすごく悲しくて……憎くてたまらないみたいな……」
「憎くてたまらない?」
……よく分からない。
このみだけが感じているのだろうか。
「……とにかく、奥に行くぞ。体は大丈夫か?覚悟はできてるな」
「うん。……ここまで付き合ってくれてありがとう」
「…………その言葉は最後まで取っとけ」
ダンテはこのみの顔を見ないままに歩き出した。
じっと彼女の顔を見つめていると、無理やりでも引き留めてしまいそうで。