鏡の中の黄昏蝶28話〜
□32-B.Curiosity killed the cat
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このみは、家具一つ置かれていない自室を見て息を詰めていた。
そんな彼女を見て、ジャンは笑みを浮かべている。
「実の両親でさえ、三年ぽっちであなたをなかった存在にしてしまうのですよ。
……憎くはありませんか?
あなたは三年かけて、こうしてやっと元の世界へ戻る手だてを見つけたのに、あなたの両親はあなたを忘れてしまっているようだ」
「違う……ちがう、そんなはずない……」
かぶりを振ってジャンの言葉を否定するこのみの姿が、ひどく痛々しい。
ダンテはどうすることもできないまま、笑うジャンを睨み付ける。
「ねえ、人間なんて驚くほど薄情なものです。
両親ですら実の娘がいた部屋をこんな風に扱うのですよ、この世に信じられることなどありはしないと思いませんか?」
「違う……っ!何か、理由が……っ」
このみの瞳から涙が溢れ出す。
ジャンの言葉を否定しようと首を振るたびに、埃まみれの床に涙の粒が弾けた。
「違うのなら何故泣くんです?どういう理由であれ、物一つなく綺麗に片付けられた部屋を見て、傷付いたからではありませんか?
あなたも今、両親を信じられないでいるのではありませんか?」
立て続けに攻め立てるジャンの言葉に、このみは徐々に追い詰められていく。
涙の光る瞳の奥は、暗い色をしていた。
まずい、と思った。
このみはジャンの言葉に呑まれている。
震えて、絶望の瞳をしたこのみはダンテに問いかけた。
「ダンテ……お父さんとお母さんは、わたしを忘れちゃったのかな……?」
その問いに、ダンテは答えられなかった。
家具が取り去られた部屋は、ダンテにも彼女の両親がこのみの帰りを拒絶しているように思えたから。
「わたしは……忘れたことなんてなかったのに。ずっと、ずっと帰りたいって思っていたのに。
お父さんと、お母さんは、わたしのことなんかどうでも良かったのかな。
わたしの帰りを待ってはくれなかったのかな。何で……何でだろうな……」
泣きながら呟いたこのみは、ダンテの返事など期待してはいないようだった。
その声には失望が、濡れた瞳の奥には憎悪すら見てとれて、このみの仄暗い心の底に触れたような気がした。
もうこのみを見ていることに耐えられなくなった。
奥歯を噛みしめて、ジャンを睨み付けることしかできない自分がひどく呪わしい。
「お前……いい加減にしろよ」
確かな殺意を込めて、ダンテはジャンに告げる。
ジャンが主導権を握っていなければ、今すぐこの場で殺してやるのに。
悪魔はにっこりと極上の笑みを作ると、ダンテの言葉を聞き流してこのみに語りかける。
「私と一緒にあの世界へ帰りましょう。
そして両親にあなたの存在を思い出させてやりませんか?」
「聞くな、このみ!向こうの世界がお前を受け入れないなら、ずっと俺の傍にいればいい」
とっさにその言葉が出てきたから、やっぱりこのみのことを諦めきれていなかったのだろう。
けれど、これは本心だ。
泣き続けるこのみは、ダンテとジャンを交互に見つめながら、戸惑うようにその瞳を揺らしている。
「両親でさえ、信じるに足らない存在なら……赤の他人を信用すべきではありません。
……この私も含めてね。悪魔の言葉など論外でしょう?」
この男の意図が見えない。
甘言でこのみをたぶらかしたかと思えば、自分を信じるな、とも言う。
ジャンが欲しいのはこのみの身体であるはずだ。
だとしたら何が何でも自らを信用させようと仕向けるはずなのに。
男はこのみに向けて言う。
その表情を笑顔のまま崩さずに。
「……でもね、あなたの隣にいるその男にも、私と同じ悪魔の血が流れているのですよ」
ダンテは気付いた。
ジャンの目的は、このみにダンテに対する信頼を失わせることだ。
半魔である自分の存在が邪魔だから、彼女が疑いの目を向けるように、言葉でこのみを惑わそうとする。
分かっていた。
けれど……。
「俺を、お前と一緒にするな……!!」
分かっていても、怒りが理性を上回って、自分を止められなかった。
この悪魔と、自分の中に流れる血が同じであるはずがない。
父から受け継いだ意思は、ダンテの中で強く息づいているのだから。
踏み出したダンテは、躊躇せずジャンに向かって引き金を弾いた。
異世界同士を繋ぐことができるのは、ジャンしかいない。
奴を殺せば、このみは二度と向こうの世界に戻れないと分かっていたのに。
いや、もう戻れなくてもいいと思っていたから撃ったのかもしれない。
両親でさえ彼女の帰りを待っていない世界なら、そんな所へ帰る必要なんてない。