鏡の中の黄昏蝶 Another Story

□2.心の距離を測る
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* * *


バージルは元は悪魔の巣穴であっただろう洞窟を見つけ、とりあえずそこに身を隠すことにした。

入口に結界を張り、このみを奥へ押しやる。
このみはしゃがみこんで手探りで辺りを確認し、座るのに居心地が良さそうな場所を見つけ出したようだ。
少し離れた場所にバージルが腰を落ち着けると、彼女は不安げに首を巡らせる。


「……ここにいる」


バージルが声を上げると、このみはほっとしたように息をついた。
傍に置いた自分の鞄を探ると、ペットボトルに入った水を取り出す。


「あの、バージルさんも飲みますか?」
「必要ない」
「……そ、そうですか」


にべもなく告げられて、このみはしばらく迷っていたようだが、やがてチビチビと水を飲んだ。

バージルとて、人並みに飲み食いはする。
ただ、半魔であるせいか普通の人間と違って、多少絶飲食してもある程度までは耐えられる。

そもそもまずバージルにとって、他人から飲食物を受け取ること自体が倦厭すべきことであった。
それにもし魔界からの脱出に手間取り、自分と分け合うことでこのみの食料が足りないことになれば寝覚めが悪いと思ったのだ。



このみが水を嚥下する音まで聞こえてくるような、静まり返った空間。
水を飲み終えた彼女は、居心地悪そうにその場で膝を抱える。


「……このみ」
「ひゃいっ!!」


素っ頓狂な声を上げたこのみに、バージルは思わず鼻で笑ってしまう。

このみは真っ赤な顔で、もう一度「はい」と返事をした。


「お前は、何者だ?」


静かに尋ねるバージルに、このみは何か考えるような様子を見せた後、ポツポツと自分の身の上を語り出した。

自分は、異世界からやって来たこと。
ダンテに助けられ、彼の家に居候していること。
蝶を操る悪魔のことや、影を抜かれてしまったこと、パラレルワールドへ時空転移してしまったこと……。

俄かには信じがたい話がいくつも飛び出すが、バージル自身が半人半魔という存在であることもあって、口を出すことは控えた。
バージルのことは、ダンテから話を聞いて知っていたのだという。


「今のバージルさんは知らないかもしれないんですが……わたし、別のところでもあなたに助けられたんです」
「……どうせ、それも気まぐれかただの偶然だろう。お前に恩を売った覚えはないし、身を呈してお前に庇われる筋合いもない」
「でも、わたしがこうしたかったんです……」


このみは視力のない目線を地面に落とす。


「体力を回復する石を受け取ったようだが、あれは魔界や人間界に時折落ちているものであって、特別珍しいものではない。
……視力と引き換えにするには、明らかに釣り合っていない代物だ。お前、騙されたな」


バージルがそう言うと、このみは驚いたように顔を上げた。
そして、バージルがいる方角をしばらく見つめた後、再び視線を膝に戻す。


「そう、だったんですね。それでも……あの時のわたしにはそれが必要だったから、後悔はしてません」


そう言い切るこのみのことを、バージルは理解できない。

いくらダンテの双子の兄弟とは言え、それだけでここまでできるものなのだろうか。
彼女が知っているかどうか分からないが、弟とは殺し合いにまで発展した仲だ。

それにひとつ間違えれば視力どころか命を落としていたかもしれないのだ。
そして、視界を奪われた状態で魔界を無事に脱出できる保証はない。


――そうまでして、彼女に助けられる理由なんて、自分にはなかったのに。


このみは恩返しのつもりでしたようだが、バージルからすれば逆に恩を売られた気分だ。
だからこそ、恩を売られたままでは終われなかった。


「……俺の体力が戻ったら、もう一度次元の狭間にお前を送れるか試してみる」
「あ、ありがとうございます。結局わたし、またこうしてバージルさんに助けられてますね。
……バージルさんは、これからどうするつもりですか?魔帝に、また挑むんですか……?」


このみは言外に「もう魔帝に関わるな」と言っているようだ。
バージルはこのみをじっと見つめ、逆に尋ね返した。


「お前は、俺が魔帝に勝てると思っているか?」
「……えっと」
「正直に言えばいい」
「その、ごめんなさい……無理だと、思います。たとえバージルさんが万全の状態だったとしても……勝てないと思いました」
「だろうな」


バージルが肯定したことに、このみは驚いたようだ。
見えないはずの目を見開いて、バージルのいる方向に顔を向けている。


「お前程度の存在でも、実力の違いが見抜けるほど奴の力は圧倒的だということだ。
……お前が戦いに水を差したおかげで興醒めした。とりあえずしばらくは大人しくしていよう」


バージルが皮肉混じりにそう言うと、このみはあからさまにほっとしたようだ。

彼女からすれば当然だ。
もう一度バージルが魔帝に挑むと言えば、このみが命を賭してバージルを救った意味がない。


「それに……先程の戦いで、閻魔刀の刀身に傷がついた。長くは保たない」


多少の刃こぼれであれば、バージルの魔力で修復できるはずだった。
しかし魔帝に攻撃を受けたせいか、閻魔刀に入った亀裂はいくら魔力を込めても直ることはなかった。


「その刀、お父さんの形見なんですよね?直せないんですか?」
「人間界の遠い島国に……魔界の刀を修復できる者がいるという話を聞いたことはあるが……」


と言ったものの、魔界に骨を埋める覚悟でここまで来たというのに、今更再び人間界に戻るのも癪だった。

魔界と人界の狭間をかいくぐれる程度の有象無象の悪魔ならともかく、自分の意思で魔界に戻るのは容易なことではない。
それこそ、もう一度テメンニグルの封印を解くくらいの手間と時間がかかるはずだ。

けれど閻魔刀をこのままにしておけるはずもない。
わざわざ人間界にまで赴かずとも、元は悪魔である父が使っていたのだから、この魔界にも閻魔刀を修復することができるものだっているかもしれない。

煩悶するバージルの胸中など知る由もないこのみは、バージルの言葉を聞いて首をかしげた。


「遠い島国って……もしかして……」
「日本だ」
「日本!!」


その国の名前を聞いたこのみが、珍しく興奮気味に声を上げる。
色のない瞳がキラキラと輝いているようだ。

そういえば、このみは東洋人の顔立ちをしている。


「日本と何か関係が?」
「わたし、日本人なんです!異世界の方の、ですけど。こっちの世界の日本はどんな国なんでしょう。わたしも、行ってみたいです」
「……その見えない目でか?」
「目が見えなくても、食べ物とか、楽しみ方はありますよ!」
「……こんな時にのんきなものだな」


魔界にいるにもかかわらず、無邪気な様子を見せるこのみに、バージルは思わず気が削がれて嘲笑ではない笑みを口の端に浮かべた。
それに気付いたバージルは、そんな自分自身にややうろたえながら笑みを消す。


「日本に行く、か……。そのためには、まずこの魔界から出なければならない」
「そうですね。無事に脱出できたらいいんですけど」


このみは自分の体から伸びている、ダンテの魔力でできた赤い糸の先をいじっている。
まるで見えているようだった。


「……その糸は」
「バージルさんにも見えてるんですね。わたし、眼は見えなくなったんですけど、この糸は魔力でできているせいか、これだけはどこに繋がっているか分かるんです。
元の世界線に戻るための、大事な目印なんです」


このみは糸の先の人物に想いを馳せるかのように、目を細める。
糸をいじる指先はとても愛おしげで、色恋沙汰に興味のないバージルでさえ、彼女がダンテを特別に思っているのが手に取るように分かった。


……なんとなく、面白くない。

そもそも、自分を助けた動機が「ダンテの家族だから」というのがまず気に入らないのだ。


衝動的に、糸を切ってしまいたくなったが、もしそうすればこのみはきっと泣くのだろう。
彼女の泣き顔を見るのはもううんざりだった。


「……話は終わりだ。俺は体力を回復するのに少し寝る。お前も休め」
「は、はい」


冷たい声で言い放ったバージルに、このみはビクつきながら返事をする。
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