鏡の中の黄昏蝶 Another Story

□2.小さなキミは愛され上手
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* * *


「とうとう、ジャンを倒したんだね……!」


俺の隣で、このみが呟く。
このみはジャンが立ちはだかっていた鏡を、感極まったような顔で見上げていた。


はまったガラスは「物を映す」という本来の役割を果たさず、ただ淡い光を放っている。
光の先には何があるのか、分からない。


「ここを通り抜けたら、元の世界に戻れるのかな……」


期待に胸を膨らませていたこのみは、その時少しだけ、不安そうな顔をした。

無理もない。
ずっと探し続けていたその鏡が目の前にあるのだ。
「さあどうぞお通りなさい」と言われても、元の世界に帰るという実感が伴わないに違いない。


淡い光の向こうに、このみの世界はあるのか……本当に戻れるかどうかも分からないのだ。


このみは躊躇するように、ただその場に踏みとどまっている。
ずっとずっと、帰ることを望んでいたというのに、いざその時になると気後れしてしまったようだ。


そうこうしているうちに、鏡の光は徐々に弱くなっていく。
もう時間がない。


このチャンスを逃してはいけない。
だってこのみはこの日のために、必死に鏡を探し続けてきたのだから。


そして俺も……誰よりも近い場所で、それを見守ってきたじゃないか!


不安そうな顔で鏡を見つめるこのみに向かって、俺は言った。



「……このみ、俺も一緒に行ってやる。
この先がお前の世界でも、そうでなくても……俺がいるなら、不安なんて覚える必要は……ない!」



俺は驚くこのみの体を抱えて……光の中に飛び込んだ。

後先考えずに行動する、いつもの俺の悪い癖。
けど、あのままこのみとサヨナラする気も、不安そうな彼女を一人にする気も、これっぽっちもなかったのだから仕方がない。



何の抵抗もなかった。
淡い光を通り抜けた向こうの世界には、何が待っているのか。



* * *


俺はこのみを庇いながら、硬くて濡れているタイルに転がった。
床は濡れているのに、不思議とその空間は温かい。

俺の目の前が、白い靄……いや、湯気で煙っている。



体を起こして見渡したそこは……どう見ても浴室だった。
俺たちが飛び出してきたのは、浴室に備え付けになっている鏡。

淡い光を放っていたその鏡は、徐々に本来の姿を取り戻していく。
瞬き一つしたそこにあったのは、湯気で曇ったただの鏡だった。


俺は状況を把握するために、あちこちに視線を向ける。

バスタブの中では、一人の中年のアジア人が、裸のまま驚いたような顔をして俺たちを見つめていた。
この男、何となく見覚えがある。

……そうだ、確かこのみに見せてもらった「ケータイ」に映っていた、彼女の父親……


そうか。
このみは帰ってこれたのか。



『お……父さん……』



日本語で小さく呟いたこのみの方を、俺は振り返る。
このみの黒い瞳が大きく見開かれ、そこに大粒の涙が浮かんでいた。

ずっとずっと再会を望んでいた父親が、目の前にいる。



『このみ……?どうして……』



裸の男もまた、このみの名前を呼んだ。
幻でも見ているのだろうか、とばかりに目をこすり、そして瞬きをしてから、またこのみを見る。


……幻なんかじゃないぜ、おっさん。
目の前にいるのは、あんたの娘だ!


堪えきれなくなった涙をこのみは零す。


『お……お父さあぁぁあん!!うわああぁぁぁあぁん!』
『このみ……帰ってきたのか!?本当に……このみなんだな!?』


このみは服が濡れるのも構わず、バスタブの中の父親に抱きついた。
父親もまた、己が裸であることも気にせず、このみの体を抱きしめる。


号泣しながら父親と抱き合うこのみの姿を見ていると、柄でもなく俺の瞳に熱いものが込み上げてきそうになった。

だって俺もずっと、このみを手伝ってきたんだから。
家に帰りたいと泣くこのみを、励ましてきたんだから。



――ほんとに、良かったなぁ、このみ……!!



父娘は気が済むまで泣いて抱きしめあって……ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
俺を見て、赤い目をした裸のおっさんは言う。



『ところで……どちら様ですか?』
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