鏡の中の黄昏蝶 Another Story

□4.いつから嘘を吐かせていたの?
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* * *


翌日の深夜2時43分、俺は自宅に持ち帰った鏡の前で身構えていた。
本当に時間が関係しているなら、日本時間でもうすぐ午後4時44分を迎えるはずだから、鏡は発光を始めるはずだ。

だからわざわざ、この時のために秒単位で時計を合わせたんだからな。


俺はこのみがこの世界に来た際に持っていた鞄と、セーラー服を小脇に抱えて鏡を睨み付けている。
ついでに自分の着替えも。

……これで鏡が反応しなかったら、間抜けってレベルじゃねーぞ。


44分まであと10秒……


……5、4、3、2,1……



「……光った!!」


淡い光を放ち始めた鏡に向かって、俺は躊躇せず飛び込んでいた。

光の粒子に飲み込まれた俺は、鏡の前に置いてあったシャンプーボトルや石鹸の類を蹴り落としながら、
見覚えのある浴室に降り立った。


キョロキョロ辺りを見渡して、本当にそこが目的の場所なのかを確認する。


……俺はほっとした。
どうやらこのみの家みたいだ。


『あら……ダンテ君!?』


風呂場でした物音に驚いて駆けつけてきたお袋さんが、俺を見てそう言う。
まだ発光を続けている鏡を、信じられないものでも見たかのような目付きで見つめていた。


「この向こう、俺んち」


蹴り落としたシャンプーボトルを拾い上げながら、俺は鏡を指す。
鏡の前までやってきたお袋さんは、恐々とそれを見上げながらも手を触れようとはしなかった。

やがて一分を迎えたのか、鏡が放っていた光は次第に弱くなっていって、
次にはもう普通の鏡に戻っていた。

お袋さんは真っ青な顔色で、恐る恐る鏡に触れたけれど、その指はカツカツと鏡を叩いただけだ。


安堵したお袋さんは、俺が床のタイルに落とした石鹸などを拾い上げるのを手伝ってくれる。


『ああ、ダンテ君が来てくれてよかった。
昨日急にいなくなってたから、このみ、随分取り乱してたのよ』


何を言われているのか分からずに俺が首を傾げると、お袋さんも困ったように笑った。
彼女は英語ができないみたいだ。


『このみの制服、持ってきてくれたの?通学鞄も……』


浴槽の蓋にとりあえず置いておいたそれらを指さして、お袋さんは俺に尋ねた。
言葉の内容はよく分からないが、何となく察しはついたので俺は頷く。

娘の制服を大切そうにお袋さんは手に取る。


『わざわざ、ありがとうね。でも、もう袖を通すことはないんでしょうね……』


お袋さんはセーラー服を顔に押し当てて、じっとしていた。
……泣いているみたいだった。

俺はどうすることもできず、ただお袋さんが落ち着くのを待つしかない。


やがて目を赤くしたお袋さんは、立ち上がって俺の腕を取った。

俺は慌てて片手で靴を脱ぐ。
そういやここは土足厳禁なんだったな。


お袋さんは階段下まで俺を連れてきて、二階を指さす。

どうやらこのみの部屋に行けと言われているようだ。


『このみ、ダンテ君にもう会えないかもってひどく落ち込んでて、今二階にいるの。話し相手になってあげて。
後でお菓子も持って行ってあげるからね』


やんわりと背中を押された俺は、階段を上っていく。
昨日こっそり訪れたこのみの部屋のドアを軽く叩くと、目の前のドアが開いた。

目の端を真っ赤に染めたこのみが、俺を見上げて驚いたように突っ立っている。


「……ダンテ?」
「よ、昨日ぶり」


俺が殊更に明るい声色でそう言うと、みるみるうちにこのみの黒い瞳に大粒の涙が溜まっていく。
ドアから飛び出したかと思うと、俺の胸に飛び込んできた。


「ダンテ!良かった、もう会えないかと思った!
家の外に出て迷子になって、帰れなくなったんじゃないかって、あちこち探したんだよ!」
「なんだそりゃ」


俺の体に縋り付きながら嗚咽を漏らすこのみの頭を、宥めるように撫でる。
ジュースと菓子をトレーに乗せて持ってやってきたお袋さんが、『お父さんには見せられないわねー』と娘を見て苦笑している。


とりあえず落ち着いたこのみは、俺を自室に通した。
学習机に備え付けになった椅子に俺を座らせて、菓子を勧める。


「あの鏡、どうやら日本時間で午後4時44分から45分までの1分間だけ、道が繋がるみたいだ。
昨日の夕方検証して、さっきも試したから多分間違いない」
「そうなんだ。じゃあこれからもダンテに会えるんだね」


心底嬉しそうにそう言うこのみを見ていると、何か勘違いしてしまいそうになる。
本当は、これを最後にしばらく会わないつもりだったんだが、何となく言い出しにくい。


「それにしても、4時44分か……。なんだかオカルトめいてるよね」
「どういう意味だ?」
「4は、"し"とも読んで、"死"と同じ読みで不吉な数字なの。
4時44分といえば、学校の怪談とか都市伝説で定番の時間設定」
「それを俺とこのみが立証してしまったわけだ」


俺がそう言うと、このみはおかしそうに笑った。


「ダンテ、こっちとあっち行ったり来たりして、体調はだいじょうぶ?
向こうは今真夜中だよね?晩御飯は食べられそう?」
「……そう思って飯抜いてきた」
「ぬかりないなぁ」


明るく笑うこのみは、いつもと変わりないように見える。
けれど、その笑顔の中に時折影が落ちるのが何だか気になった。


「……もうすぐこっちの世界では桜が咲くよ。
ダンテにも見てほしいなあ」


そう呟くこのみの顔も、少しだけ無理しているように見えた。
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