鏡の中の黄昏蝶 Another Story

□5.過るは悲しい涙の音
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* * *


それから数日間、このみの家には様々な人が訪れてとにかく騒がしかった。
このみの友達から、祖父母親類などなど。

みんなこのみを心配していて、そしてその無事を喜んで、家出をしたと主張するこのみを本気で怒っていた。
俺は愛あるお説教だと思ったけど、彼らがこのみを内心どう思っていたかは知らない。

俺がいると妙な詮索を受けるかもしれないから、彼らの前に姿は現さなかった。


俺がこの世界に持って帰ってきた鞄の中には、このみの携帯も入っていた。
電池の切れたそれを充電すると、両親がまだ契約を切っていなかったその携帯には、
電源を入れた途端に夥しい量のメールや着信があって、彼女は苦笑していた。


俺はこの世界と向こうの世界を行ったり来たりしながら、
レディにこのみが元の世界に戻れたことを報告したり、このみのバイト先に連絡したりしていた。

このみは直接レディやバイト先と話をしたがっていたけど、一旦向こうの世界に行けば24時間は拘束されることになるから、
こっちに戻ってきたばかりで忙しいこのみを連れ出すわけにはいかない。



やっとこのみの周囲が落ち着き出す頃には、世間は4月を迎えていた。



……このみは嘘を吐き続けることに疲弊しているようだ。
吐きたくて吐いているわけではない嘘ほど、辛いものはない。

そのせいか用がなければ家から滅多に出ない。
このみの事は随分噂になっているみたいだから、近所の視線が気になるんじゃないか、と親父さんは言っていた。

けど、俺や両親が話しかけると、精一杯の笑顔を作ってみせる。



『このみ、外では桜が咲いてるわよ。たまには気分転換に外を歩いてきたら?
ほら、せっかくダンテ君もいるんだから、案内してあげたらいいんじゃない?』
『うん……』



気を利かせたお袋さんが、このみにそう言う。
このみもずっと塞ぎこんだままでいるわけにはいかないと思ったのか、俺を映画に誘ってきた。


「せっかくだから3Dのにしようね」


映画もこの世界に来てから何十本も見ているんだが、日本語の分からない俺がこの世界で楽しめることは案外少ない。
それに、実は初めてこのみの家から外に出る。

このみが暮らしていた世界は、どんな風景をしているんだろう。


いつもの格好だと目立つから、と地味な服を勧められた俺は、ものすっごく地味な服を用意してやった。
それでもこのみからは「派手」と言われたけれど。


このみは俺を家から連れ出した。
春のポカポカとした陽気は心地よく、俺は初めて味わう空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


庭から一歩踏み出したそこは住宅街で、近所のおばちゃん連中が道で井戸端会議をしている。

それを見て一瞬表情を硬くしたこのみは、けれどすぐに笑顔を作り「こんにちは!」と声をかけてからその場を通り過ぎた。
途端にさざ波のように囁かれるおばちゃんたちの噂話。

俺には理解できないけど、このみはその言葉をどう受け止めているんだろう。

無遠慮に向けられる視線を無理矢理振り切るように、このみは早足で歩き始めた。



通り過ぎる公園や、神社などに植えられている、薄いピンク色の花をつけた木が桜なのだとこのみは言う。
その淡い色に春を感じながら、俺はこのみと共に道を歩いた。

歩いているうちに気づいたんだが、どの家も恐ろしく狭い上に密集している。
こうやって一軒家を眺めていると、このみの家は全くもって普通だったんだな。


駅前に着くと人通りは多くなったが、俺みたいな外人はあんまりいなかった。
俺だけ物凄く浮いている気がする。

目立つのは嫌いじゃないが、珍獣でも眺めるみたいな視線はごめんだ。
地味な服を着てきたものの、全く意味ねーじゃん。


「すごい目立ってるね」
「視線が痛ェ……」
「ダンテ、かっこいいから仕方ないね」


冗談っぽくこのみは笑うが、男としてそう言われるのはまー悪い気はしない。
というか、このみからそう言われるのは初めてのような気がするから、正直言うとすごく嬉しかった。


駅周辺は驚くほど綺麗で、住宅街を歩いていた時はそれほど感じなかったけれど、
やっぱり向こうの世界より数段進んでいるのが分かる。
通り過ぎる車とか、ビルにくっついている大型モニターとか。

高層ビルは俺の世界にもあったけど、こんなにニョキニョキ密集して立ってはいなかった。

それに道行く人が携帯電話を片手に、俯きがちに歩くのが何だか奇妙だった。


駅前の繁華街は一見綺麗だが、少し路地を覗いたそこはゴミゴミとしていて、その雰囲気は少しだけ俺を安心させる。
当然路地に用などないこのみは、お上りさんみたいにキョロキョロする俺を連れて大通りを進んだ。


ほどなく目当ての映画館にこのみは足を踏み入れる。
ポップコーンの匂いがする辺りは全世界共通なのだろうか。

日本語さっぱりな俺は、このみがいなければどうしようもないので、チケットの購入も全部任せきりだ。


「英語音声で字幕有りの洋画なら、ダンテも楽しめるよね!」


そう言って、このみは俺に買ったばかりのチケットを手渡す。
俺がこのみの家で見せられていた映画の続編が、3Dで上映されるらしい。


俺に合わせてあれこれ考えてくれているこのみに感謝すると同時に、
これが少しでもこのみの息抜きになっていればいいと思う。
できれば何のしがらみもなく、ただ気楽に楽しんでほしい。


けど、上映中に俺の隣に座るこのみは、ぼんやりとしていた。
視線は画面に向けているけれど、ただ目の前で繰り広げられる映像を目の表面に映しているだけ、そんな感じ。


……俺はこのみに何をしてやればいいんだろう。
何ができるんだろう。


結局俺もこのみも、映画に集中できないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
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