鏡の中の黄昏蝶1話〜27話

□鏡の中の黄昏蝶1
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* * *


センター入試まで、2ヶ月と半月。
秋も深まる11月を迎えた高校三年生は、大学受験を控えて落ち着かない様子でいる生徒が大半だ。
例に漏れず、受験生の伊勢このみもどこかそわそわとした気持ちでいる。


「伊勢は風邪、大丈夫か?学年でもはやり始めたみたいだが」


放課後を利用し、分からない問題を教師に尋ねていた時のこと。
このみに問題を教えていた教師が、そういえば、と切り出した。


「いまのところは。今日は、これから予防接種に行こうかと思ってたんです」

寒さを増す季節を迎え、風邪を引き始める生徒も増えだした。
このみも受験に備えて、学校帰りにインフルエンザの予防接種を受けに行こうと思い、今日は保険証を持参していた。


「そうか。受験生は体が資本だからな、あまり無理するなよ」
「はい」
「もうすぐ日も落ちるし、病院に行くなら今日はこれくらいにしておいたほうがいいかな」


職員室の窓の外は赤く染まり、日が傾きかけているようだった。
時計を見るともうすぐ4時45分に迫ろうとしている。


「ありがとうございました、先生」
「ああ、分からなかったらまたおいで」
「はい。失礼します」


参考書が詰まった重たい鞄を持って職員室を後にする。
ここ最近は日が落ちるのがとても早くなった。
暗くなる前に病院へ着きたいと思い、夕日の差し込む廊下を進むこのみは、自然と急ぎ足になる。


「このみ!」


大きな姿見のある廊下まで来たところで、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
このみが振り返ると、友人が数学の問題集を片手にこちらへやって来るのが見える。



「このみ、今日は予防接種行くんじゃなかったっけ?早く行かなくていいの?」

友人の言葉にこのみは頷いた。

「うん、今から行くところ。ちょっと先生に質問してたの」
「そうだったんだ。私も数学わかんないとこ、先生に聞きに行こうと思ってたんだ〜」

そう答えた友人に、このみは教師の言葉を思い出す。


「そう言えば……5時から職員会議だって先生言ってたよ」
「マジで?急がなきゃ!」

そう言って友人は追い越しざまにこのみを振り返った。

「じゃね、このみ!あと襟曲がってるよ!」
「えっ?」


思わず襟元に手をやり、曲がり具合を確かめているうちに、友人の姿は見えなくなってしまった。


触るだけではよく分からなかったので、姿見の前まで移動する。
首をひねって後ろを確かめると、確かに曲がっている。
朝から一日襟を曲げたまま過ごしていたのだろうか。
だとしたら少し恥ずかしい。



鞄を肩から提げたまま、後ろ襟を直すのは少々難しかった。
鞄を下ろせば早いのに、病院に急ぎたいあまり少しの手間を嫌い、鏡の前で体をひねりながら、このみは襟を正そうと苦闘する。



――すると、その時。



「…………!?」


このみは思わず我が目を疑った。


鏡の表面が、まるで水面のように静かに波打っている。

ごし、と目をこする。

受験勉強で疲れているのだろうか。それとも寝不足?



キョロキョロと周りを見渡す。
このみのいる廊下には他には誰もいない。
グラウンドから部活動に勤しむ生徒の声が聞こえてくるだけだ。



このみはもう一度鏡に視線を戻した。

「……見間違いじゃない」

やはり鏡は微かに波打っており、鏡に映るこのみの姿は頼りなげにゆらゆらと揺れている。


わけの分からない現象に訝しがりつつ、このみは好奇心から波打つ鏡にそろそろと手を伸ばす。


伸ばしたこのみの指先は――



鏡の表面を突き抜けた。



仮に鏡が液状化していて、何故か重力に逆らって壁に張り付いていたとしても、鏡の向こう側は壁だ。
すぐに壁に当たるはずなのに、突き抜けるなどどう考えてもおかしい。


「何……これ……!?」
今になって怖くなってきたこのみは、慌てて手を引き戻そうとする。


だが、鏡の向こう側に埋まったこのみの指先を、何かが掴んだ。


「ひっ…………きゃあああああっ!!」


突然の感触に思わず竦みあがったこのみは全力で手を引き抜こうとするが、
手を掴んだ何かは、恐ろしいほどの力でこのみを鏡の向こう側へと引き込もうとする。


「いやっ、いや!誰かっ……!!」
助けを求めようとしたところで、このみの足が宙に浮く。


「あっ……」


そのまま引きずり込まれるように、このみの体は鏡の向こうへと消えて行った。
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