鏡の中の黄昏蝶 短編
□Lesson
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* * *
夕飯を終えたこのみは、自室の机に向かってノートを広げていた。
1日が終わるまで、あと数時間。
今日1日の出来事を思い返しながら、このみはそれをノートに綴る。
するとその時部屋のドアが叩かれて、このみは慌ててノートを閉じた。
「このみ、お前がなくした単語カード、ソファーの下にあったぞ」
このみの部屋のドアを開けたダンテは、ノートの表紙を押さえて固まるこのみを視界に入れて、首を傾げた。
「……どうしたんだ?」
「な、なんでもないよ」
このみが硬い笑顔を作ると、不思議そうな顔つきで、ダンテはこのみの部屋に足を踏み入れる。
「ほら」
「ありがとう」
ダンテが差し出した単語カードをこのみは受け取る。
リビングでなくしたと思っていたのだが、見つかって良かった。
カードを手渡したダンテは、机の上にあるノートにじっと視線を注いでいる。
どうやら中身が気になるらしい。
「このみ、そのノート……」
「……ただの日記です」
「へえ」
面白そうな目つきで尚もダンテはノートを見やる。
何が書かれているのか興味深々といった様子だ。
「……見たい?」
「いいのか?」
このみがダンテにノートを差し出すと、ダンテは顔を輝かせながら表紙をめくる。
が、次の瞬間、膨らんだ風船がしぼむようにその表情が萎えた。
「……日本語じゃん」
「だって、日記くらい頭使わずに書きたいんだもの」
それに、ダンテが読んで面白そうなことは書いていない。
今日もジャンは見つからなかっただとか、夕飯がレシピ通りにうまくできただとか、そんな日常を綴っているだけだ。
「俺が分かるのは日付くらいかよ」
「暗号代わりになって、隠す必要なくてすむからいいかも」
ダンテは不満げな顔付きでこのみにノートを返そうとしたが、ふと何を思ったのか、ノートを広げた。
余白を指差してこのみに言う。
「なあこのみ。"ダンテ"って日本語でなんて書く?ここに書いて」
「え?いいけど」
ダンテに言われるまま、このみはダンテが示したスペースに、カタカナで"ダンテ"と書いてやる。
ダンテは再びノートを手に取ると、数ページパラパラとノートをめくった。
そうしてニヤリと笑いながら、ダンテはこのみに言う。
「この日記、俺の名前がめっちゃ出てくるな?」
「……あ!」
やられた。
日本語が分からなくても、こうやって教えてやれば、自分の名前が出てくるかどうかくらい分かるものなのに。
ダンテと暮らしているせいで、自然と彼について言及することが多いのだけれど、それを本人に指摘されると恥ずかしい。
「なーこのみ。俺について何て書いてあるんだ?」
「教えない!もう見ちゃダメ!」
慌ててこのみがダンテからノートを取り上げても、彼は愉快そうに笑うだけだ。
「じゃあさじゃあさ、"伊勢このみ"は何て書く?」
「…………こう」
あまりにダンテが無邪気に尋ねてくるので、このみは毒気を抜かれて彼の要求に応えてやる。
ノートの最後のページに綴った"伊勢このみ"の名前を、ダンテはワクワクした表情で眺めた。
「日本語って不思議だよなあ。カンジなんか無駄に画数多くて超クール。
こうやって見るとお前の名前も何かカッコいいよな」
「そ、そうかな……」
生まれも育ちも日本のこのみは、母国語が海外からどのように見られているかなんて分からない。
ダンテにとってこのみの名前は、どんな風に映っているのだろう。
「このみ、ちょっと貸して」
ダンテはこのみの手からペンを借りて、"伊勢このみ"と書かれた下に、このみの字を手本にして名前を書き始める。
「うん?難しいな」
「大きく書いてあげる」
ダンテにも見やすいよう、このみは大きく自分の名前を書いた。
それを見ながら、ダンテは歪な"伊勢このみ"の文字を時間をかけて綴る。
一筆ずつダンテの手によって綴られていく自分の名前を、このみは少しドキドキしながら眺めていた。