短篇集
□君から始まる桃の春
1ページ/5ページ
「総悟〜、こっちこっち!」
やわらかい白や赤の色彩の中で鮮やかな桃色がひらひら手を振っている。
抜けるような青空からのびる真白の陽射しに目を細めると、甘い香が鼻をくすぐった。
「そんなに急がなくても花は逃げねーだろ」
左右から低く伸びる、うっすらと霜をかぶった枝をよけながらその背中に呼び掛けると鈴のなるような笑い声。
「ほら、みてみて!綺麗!」
大きく広げた両腕。
後ろには鮮やかな色彩。
「来てよかったねー!」
寒さから逃れるように鼻までマフラーで覆い、かじかむ指先をポケットにつっこんでいた俺はその花が開くような笑顔に足を止めた。
「……あぁ」
アンタのそんな顔見たら、そうとしか言えねーだろィ。
全く桜子には敵わねェ。
「綺麗…」
「…で、これ桜だっけ?」
なんて適当なことを言うと桜子はぷうっと可愛らしく頬を膨らませた。
「もう!これはうーめー!
梅の花見に行こうって、あたし昨日言ったじゃない!」
「へーへー、梅な梅。わかったわかった。」
花とかあんまり詳しくねェ。柄でもないし。
まあ桜じゃねーってのは何となくわかるが、桃の花、とか…名前こそ知っているが全く見分けがつかねぇ。
「桃はお雛様のお花でしょ」
「そういや今日ひな祭りでしたねィ」
「うん。でも桃の花はこの時期はなかなか満開にはならないよ」
だからこうやって桜子が目を輝かせて話すのを、いつも聞いて頷くだけ。
あんま話合わせられなくて申し訳ないとは思うものの、女の子がこうやって花に詳しいのもなんかいいなぁなんて日和ったことを考えている。
「あ、お団子だ」
ふと、緩やかに続いた坂道の麓を見て桜子がつぶやいた。木造の小屋にも似た団子屋。
「…食べますかぃ」
「うん」
「よしじゃあ行くぜ」
「やったぁー団子団子!」
「桜子の奢りな」
「えっ」
歩き出す俺にちょこちょこ次いできた彼女にさらりと告げると、桜子は足を止める。
構わず歩き続ける俺。
「ぼさっとしてると置いてきますぜ〜」
「さっ……サディストぉぉ」
団子屋の前まで下って振り返ると、小高いその丘で着物の袖をにぎりしめ頬を染めた桜子。
「こねーのか」
「だって…」
「嘘に決まってんだろ、俺が奢りまさァ」
「うわーい総悟だいすき〜!」
猛ダッシュで梅の中を駆け降りて来る自分の彼女がとても現金な女であることに今更ながら気づいた俺であった。