そううけっ!

□第六章
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この距離感はおかしいのではないだろうか、と危機的状況でもどこか冷静になっている蜜がいた。

思わず後ずさると、蜜の目の前の男は一層笑みを深くした。


「ふっ、その反応、クるな」
「どういう意味だよ。てか、なんでお前がここにいるわけ」


適度に鍛えられている胸板をぐいっと押し返すと、昴は眉根を寄せて不機嫌な顔になった。


「どうでもいいだろ、今は」
「よくねぇよ!だいたいお前は昔から人の家に勝手に上がって俺の部屋荒らしやがって…」
「だって蜜の部屋は俺のテリトリーだろ」

さも当たり前のように言いのける昴の頭をぺしんと蜜ははたいてやった。ドヤ顔がどうしようもなく腹が立ったからだ。仕方ない。


「そんなもん俺が許可した覚えはねぇ」
「俺が許可したからいいだろ。んなことより…」

軽く話を流すと、昴は一層距離を詰めて、蜜が気づいたら鼻と鼻がつく距離にまでつめられていた。


「ちょ、近いんだけど」
「近づいてんだから当たり前だろ」
「…引っ越したんじゃなかったのかよ」
「またこの近くに引っ越してきたんだ。蜜に会うために」
「…って、おまえ!どこ触って…っ」


そうか、またこの近くに住むのか。なんて呑気に考えていると、蜜は妖しい動きを始めた昴の骨ばった指が身体に触れる。その感触がどこかむず痒くて身じろいだ。

「ふーん…」
「な、なんだよ」
「いや、やっぱ想像以上」
「はぁ?」


お願いだからこの距離感から解放してくれないかと蜜は思った。
細いくせに筋肉はある昴の腕が、逃げようとする蜜を離しはしない。なんだ、この構図は。こいついつの間にこんなに力が強くなったのか?
今更気づいたことだが、蜜と昴では昔はほとんど体格差はなかったのに、なんというか、今や昴の方が男らしい体つきになっていて、蜜はどこか悔しさを覚えた。
力で勝てそうにないこの屈辱感を蜜はかみしめた。


「考え事かよ、余裕だな」
「ちょ、…おい昴!…ひ…ぅ!」
「…えっろ」
「なにが!てかヤメロ!今すぐに!」


何を思ったのか、昴は俺の耳に息を吹きかけてきたのだ。何が悲しくて金髪不良野郎に耳に息を吹きかけられねばならないのか。蜜は自分に降りかかる不幸を呪った。
それよりも。耳に生ぬるい刺激が走るだけで、情けない声を漏らしてしまう自分が恥ずかしくて、カッと顔が熱を帯びる。
そんな俺の顔を見て、愉しそうに笑う昴を見ると、余計昔いじられていた頃を思い出して情けなくて仕方なかった。


「この状態でやめれるかよ。無理」
「おい…マジでやめろって、お前変だぞ」


悲痛な蜜の希望はあっさりと、当たり前のように切り捨てられた。さすがは俺様を地でいく昴。蜜の要望は一切合切無視なのか、と蜜は肩を落とす。

そして、昴は俺の唇に綺麗な長い指を触れさせて、意味の分からないことを言った。


「なあ、ここ、誰かに触れさせたりしてねーよなぁ」
「触れさせてたりって…そんなん誰にも…あ」


誰にも唇に触れられたことなどない。だって彼女できたことないし。
だが…あるといえば、ある。あれを一回とカウントしていいかは別だが。

けれど蜜はこの時かなり後悔した。
嘘でも「ない」と断言すればよかったのだが。女としたことがないのだから、すっぱりとないことを言えばよかったのだが。

しまったと思ったってもう、遅い。


俺の反応ですべてを察した昴は、纏っていた空気をすぐに冷えたものにして、俺の顎を持ち上げ、瞳を真っ直ぐ捉えてきた。


「誰」


その眼はまさに完全に切れた獣そのもので、純粋に蜜は「怖い」と思った。
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