□そこに存在する物語
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 [消える]ということと、[死ぬ]ということは違う。本当の意味で消えるということはできない。そんなことは分かっていた。
「死にたいって言う事で、傷つく人がいることを、あなたは分かっているですか?」
「そんな人がいるなら、俺はきっと今ここにいないだろう?」
「まぁ、それもそうすね。」
 骸骨の仮面を被った少女は困ったように笑った。死神というイメージからはそんなに遠くないが、こんなにオタク受けしそうな容姿で大丈夫なのだろうか。まぁ強面よりは付いていきやすいか?どうでもいいけど。
「で、死にたいと思っていたらたまたま事故に遭ってしまった可哀想なんだかラッキーなんだかよく分からない…えーっと、佳尾七基くん?」
「事前にチェックしとけよ。」
「いや、あまりにも多くってですよ。で、君は死にたいですか?」
「いや、死んでんじゃん。つかさっき俺死にたいって思ってたって自分で読んだよね?」
「君の死にたいは、厳密に言うと死にたいでなく消えたいだったので、わざわざこうして出向いておるおけですよ。自分はよく分からないの専門なんで。」
「よくわからないのによくわからないの認定された俺って…。」
「中二病でもなければ夢遊病でもない。頭で理解したうえでの死にたいでなく、消えたい。さらに言えば、周りに対する配慮なのかわざとなのかは知りませんが、消えたいではなくあえて死にたいと言っている。こうしたところからよくわからないの認定を閻魔様は出されました。何か異論は?」
 ばりばりカンペというか調査資料というかをめくりながら読みあげて、死神は眠そうに言った。こいつ本とか読めないタイプか。
「別に。つかすごいね、そんなとこまで分かるんか。」
「まぁだいたいは。冥府といえども万能ではないですが。」
「ふうん。で、俺はまだ死んでないの?」
 「正確には確定してない、です。」と、少し含みのある言い方をして、死神っぽいその子は眠気覚ましか頭を勢いよく振った。鈍色の髪がぱさぱさ揺れるのを、ぼんやり眺める。俺ってばこんなとこで何してんだろーなー・・・。
「君は今ここで、生きるか死ぬか選べます。ただし生きる事を選んでも、今この時を覚えていることはありません。普通に病院で目覚めて、普通に退院して、普通に余生を過ごす。それだけです。まぁ往き帰ってからのあなたの動向はしばらく観察させていただきますが。」
「なんで?」
「おもしろいからです。」
 さらりと言ってのけたがそんな理由で大丈夫なのか冥府。俺の呆れた視線に気付いて、死神はへらりと笑って「2割省略したです。」とだけ言った。
 俺は消えたかった。生きている事に疲れたわけでも、辛いわけでもない。ただ俺と言う存在が、記憶が、まるまるこの世界から消えてしまえばいいと思っていた。いつからそんなことを考えるようになっていたかなんて忘れた。でも、きっと生まれた時からだ。物心ついた時にはこの世界と自分とのズレみたいなものを感じていた。
 成長するにつれ、そのズレは大きくなって、いつしか俺を蝕んでいた。死ぬことは簡単だ。しかしただ死ぬのでは俺の遺体が残る。記憶が残る。履歴が残る。歴史が残る。人は誰しも、自分の存在するデータを持っている。それは死ぬくらいじゃ消えないし、消せないのだ。死を愚弄する気はないが、それでもこの世界から存在を抹消することは死ですらできることではないのだ。
「人の記憶は偉大です。死をも凌駕するです。」
 俺のことを観察していた死神が、ふいに口を開いた。視線を向けるとふっと笑った。ゆっくり目を閉じて、唄うように話し始める。耳を傾けると、それは水が流れるようだった。
「だれかのの記憶に在る限り、その人は存在し続けます。誰も知らない、誰も目を向けない、そんな人もときどきいるですが、そういう人にもその人の歴史や履歴は存在するです。死は自分の中に存在する履歴を消すことです。でも、他人に残った履歴までは消せません。そういうことを考えている人は少なくないと思うです。でも本当の意味でそれがどういうことか、理解している人は多くないです。死は平等で、誰にも何にも公平です。」
 一つ、息を吐いた。そしてどこから取り出したのか、大きな時計のねじを巻く。
「そしてもう一つ、誰にも何にも平等で、公平なものがあります。それが、時間です。」
 カチリと音がして、時計のサイズの割に小さいねじを俺に手渡した。
「個人の時間は死で止まります。しかし、世界をつつむ時間は絶えず流れ続けているです。砂のように、水のように、ゆっくりと、しかし確実に流れていく時は、死よりも偉大な記憶をも流します。そしていつかすべてを流して、履歴や歴史も遠いものへと変えてしまいます。しかし逆に、さかのぼって、辿っていけば、記憶も、歴史も、履歴も、すべては存在しています。消える事も、存在することも、あなた次第だと言う事が、分かるですか?」
「世界は、いろいろな要素が複雑に絡み合って存在している…ということか?」
「んー、まぁだいたいそんな感じです。だからズレててもいいですよ。どこに重心を置くかで、世界はぐるりと見え方が変わるです。それはあなたも、ご存知でしょう?」
「俺にはまだもがく意義がある、ということか?」
「それはあなたが決める事です。でも、そうですね、君が生きて、考えることは興味深い。」
「あぁ、そうだな、もう少し世界に踊らされてやろうかという気になったかもしれない。」
「アバウトですね。まぁ今の記憶は存在しません。それでも何かしら、あなたの中には残るでしょうから、せいぜい足掻くといいですよ。」
「ずいぶんな上から目線だなオイ。」
「そういうものですよ。」
「そうか。じゃあもう出逢う事が無いことを祈るよ。」
「祈らなくても99%ないですよ。たぶん。」
「あーはいはい。じゃあな死神。なかなかおもしろかった。」
「えぇ、こちらこそ?さようなら。」

 ゆっくりと目を開くと、真っ白な天井、薬品のにおい、体中が軋んでいる。かろうじて動く視線をずらせば、右側で嫁が手を握って静かに眠っている。日光に長い茶色の髪が光って、ぜんまい型のネックレスと一緒に、春風に揺れている。視線を天井に戻して、声を出そうとしたら、喉が鳴った。
「ぁあ…消えてな・・・。」
 ケタケタと、どこかで誰かに笑われているような気がした。

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