トキヤ2

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1.


私には、好きなものなどありません。
一人の人間が好きか嫌いか述べたところで、その気持ちを向けた対象物には何ら影響はないでしょう。
ましてや、私の一存でそれが著しく壊れてしまうことなど、有り得はしないのですから。


たとえば執着したいものができたとして。
それに必死に気持ちを注いだとしても、同じだけの見返りがある保証などない。
対象が無機物であれば返答がないのは当然だけれど、それが有機物……すなわち植物や動物、はたまた人であった場合、更に状況は悪化する。
意思を持たない物品と違い、固有の意志があり、行動の権利を持ち、感情が宿っている生物であったら、それを私の一存でどうにかすることは難しい。
それこそ、こちらが傾けたものと同等、またはそれ以上の気持ちを返してもらえる可能性など0に等しい。
正確には0ではなくとも、億単位分の一の確立など計算するのは時間の無駄というものだ。


それでも、一つ過程を立てる。
欲することは可能な限り避けるとしても、万が一何かに執着したいという気持ちを抱いてしまったらどうするべきなのか。

結論から言うと、それも時間の浪費だと諦めた方が無難だ。
自分の好意を遮断したまま付き合いを続けていく、なんて聖人じみた気持ちを持つことは相当に難しい。
いくら冷酷な態度を取り繕ったとしても、所詮は私も人の子。情も芽生えれば、固執だってする。
面倒だと思っても、感情を完全に排斥して割り切った関係を築くことなど、きっとできはしない。
そこが己の未熟さを突き付けられているようで面白くなく、自分の中にも人間らしい部分が残っているのだと痛感する箇所ではあるけれど。




つらつらと言葉を重ねましたが、結局何が言いたいのかと問われれば、答えはたった一言。
自分以上に大切な人を持つなんて、危険極まりないからやめるべきだ、ということ。

どれだけそこにしがみ付いても最終的には一人に戻ることを、四半世紀にも満たない短い人生の中で私は既に学んでいた。
大切にしていた宝物も、少し力を加えただけで簡単に傷がついてしまうことがある。
粉々になって悲しい思いをするくらいなら、いっそ最初から手元にない方がいい。

以上が、私の自論です。




私は何物にも頓着しない。
強いて言うなら、自分だけを信じている。
自分の力を理解し信じることで、また一歩、先に進むことができるから。
それを自己尊重というのか自己弁護というのか知りかねながら、落ち込むことを禁じて顔を上げるよう命じてきた。

そして訪れた春の日。
その日は、他でもない自分が選択した新しい世界の幕明け、学園への第一歩だった、というのに。
まさか、私の自論を簡単に覆すことのできる唯一の人が潜んでいようとは。




ここからは、私と、私でも知らない私が足掻き、苦しみ、笑えるようになるまでの、実にみっともない物語。
迷い込んだ袋小路で性懲りもなく抗う、不格好な男のお話。





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