トキヤ2

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10.

日照時間が長くなるにつれ、一人立ちつくす僕の影は黒に近付いていく。
今はまだ透けて路面が見えるくらいだけれど、真夏になればまるでこっちへおいでと手招きするような魔の色に変わる。
でも、その色を作り出しているのは他でもない僕の身体だ。恐れる必要なんか少しもない。
それどころか、ぽっかり空いた落とし穴のように見えるそれに、微かに興奮したりする。
だって成長して手も足も伸びた僕にとって、それは長年探し続けた、僕だけの理想の世界へと繋がる道なんだから。


片手の中に納まるくらい小さな靴を履いていた頃のトキヤは、ある日テレビで不思議がいっぱい詰まった世界に迷い込んでしまう女の子の物語を見た。
ママの声も聞こえないくらいに夢中になって見たそれによると、日常を変えることのできる秘密の道は、闇の色をした穴の中に思いきって飛び込むことで開けていた。
寸足らずのチョッキを着たうさぎ、キセルを吹かす芋虫、言葉の通じる猫に、兵士を手駒のように扱う粗暴な女王。
奇想天外な世界は子供の目に怖かったけれど、息を忘れる程に魅せられた。

あの子のように、ぼくもなりたい。ふしぎのくにへ、行ってみたい。

幼いトキヤはそう思い、見終わると同時に全ての始まりである暗い穴を探した。
浴室の中を見た。収納の扉を全部開いた。でもそこにあったのは、いつもと何も変わらない日常だけ。
机の下も、両親の寝室も、トイレの後ろも、ポストの中も、しまいには隣の家のガレージの中も覗き込んで探した。
けれどどれだけ目を凝らしてみても、見つけることはできなかった。
幼いトキヤは、重たい頭をかくんと傾げて考える顔をする。

いったいどこにあるんだろう、見たことのない物がそこらじゅうに散らばる、ふしぎのくにへ続く道は。
間違って足を踏みいれるといけないから隠れた場所にあるんだとは思うけど、それでもそろそろ見つかってもいいのに。
もし見つけたとしても、一人では飛びこまない。一人で知らないせかいに行くのは、とてもゆうきがいるから。
だから、他のだれにもきかれないようみみもとでこっそり、おとやだけにおしえてあげるんだ。
よるが来ても帰らなくていい、ママが迎えにきても知らないふりがゆるされるばしょを見つけたよ、って。
だれもしらないふしぎのくにを、おとやと手をつないで、冒険したい。二人ならきっと、こわくない。
そうして誰にもじゃまされないところで、出会った頃みたいにおとやとだけ笑うんだ。

幼いトキヤは、そんな夢のような綺麗な世界を、小さな手で必死に掴もうとした。
錆びた取っ手で手が汚れても、草むらを掻き分けて指を切っても、冷たい水で感覚をなくしても、半泣きになっても、負けずに探し続けた。
いくら我慢強く探しても、トキヤが必死になるのを嘲笑うかのように、そんな都合のいい優しい世界はやっぱりどこにも見つけられなかったのだけれど。




あれから十年経った今。
僕は収録の合間の僅かな休憩時間に、トキヤがどうしても見つけられなかった不思議の国への入り口を見つけてしまった。
自分の目が届かない場所にあるのだろうと上ばかり見ていたトキヤは気付かなかったんだ。
目線を下ろしたその先、足元の自分の影の中に、探し物があったのだということを。

左右にぴょんぴょこ跳ねた髪や、ひらひらした衣装の形にくりぬかれた影が、夕日を背にした僕の前に横たわっている。
トキヤより先に見つけてしまったから、僕にはこれを自分だけのものにしていい権利があるだろう。
なんてちょっと悪どい考えが浮かんだけれど、僕の理想の世界はトキヤが思い描いたものと寸分たがわない。
ただ一つ違うとすれば、その世界には僕が実在しているということ。
昼暖かく、夜は穏やかな冷気が立ち込める場所で、トキヤと音也と三人でいつまでも一緒にいられる世界。
そんな世界を、僕は求めていた。

けれどいくら覚悟を決めて飛び込もうとしても、足を上げる度に影も一緒に動いてしまってなかなか入ることができない。
地面にくり抜かれた僕は、奇妙な踊りでも踊るみたいに片足を上げ影の中に踏み入ろうとし、失敗しては首を傾げる。
反対の足を上げて一歩踏み出す。やっぱり避けられてしまう。何度繰り返してみても、それはただの足踏み。
すぐ目の前にあるのに僕を拒絶するような世界に悲しくなってしゃがみ込む。
所詮僕の理想の世界は、影にすら受け入れてもらえない程度のものなのか。
そうか、そうだよね。だって僕はひねくれていて、大好きな人にもひどいことしか言えない奴なんだもの。
そんな奴が踏み込むのなんて、世界の方がお断りというわけか。


膝を抱えてしゃがみ丸く小さくなった影に、指先を伸ばした手を向ける。
ぺたりと触れた地面は、一日中日に焼かれたせいで、じんわりと穏やかな熱の余韻を持っていた。
表面上では優しくするくせに、中に入られることは全身で拒むんだね。
そう話かけてみても答えが返ってくるはずもなく、虚しくなって目を閉じる。
入り口とおぼしき場所に触れた指は影の中に沈むはずもなく、地面の上をかさかさ撫でるだけだった。





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