音也2

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今日から一年間暮らすことになる、俺と、同室の人の部屋。
さっき初めて足を踏み入れたそこは、事前に聞かれたそれぞれの好みの内装で真ん中から二分されている。割とふつーな感じの俺のスペースと、同室の人のモノトーンぽいスペース。
まだ荷物の整理もしてないそこは妙に落ち着かなくて、さっきから部屋の中のものがいちいち目に付いて気になってた。
壁の色とか、梱包されたままのルームライトとか、まだベッドの上に置かれたまんまの俺のギターとか。

なのにもう、扉のそばの人から目が離せない。
他のものなんて何もないみたいに、視界にはその顔しか入ってこなかった。ついさっきまで懐かしく思い出してた、やたらと整った綺麗な顔。
なんでこんなところに?いるはずがない人なのに。


「トキヤ……トキヤ、だよね?」


さっきまでお皿を持ってた手の形のまんまで、扉に向かって一歩進んだ。
足元のスリッパの下で、ざりっと砂を踏んだような音がする。
トキヤが一瞬怯んだような顔をして、ぱっと手のひらをこっちにむけて制止する。早口の鋭い声がその後に飛んできた。


「動かないでください。スリッパのままで、危ない」
「…うわ」


トキヤの視線を追って、初めて足元の破片に気がつく。え、俺お皿落としちゃった?
カレーの皿、割っちゃったんだな。一枚しかないのに。あーあ、カレー食べる時どうしよ。
なんだか状況に頭がついていかなくて、そんなどうでもいいことを考える。ぼーっと動かない俺を見て、トキヤがはあっとため息を一つついた。


「掃除用具を借りてきます」
「あっ、大丈夫。さっき掃除して、そのまま借りてあるから。待って」


部屋に入る前に、管理人室で借りてきたのがあるはず。あれ?まだ掃除はしてないか。してないな。まあいっか。
へんに頭がぽわっとして、さっきまで何してたんだかよく分かんなくなってきた。
壁に立てかけてたほうきとちりとりを持って、しゃがみこんでざかざか破片を集める。

ちろっとトキヤを見上げたら、むすっとした顔に見下ろされた。うわ、怖い。
ああでもなんだろ、すっごい不機嫌そうなのに、怖い顔なのに、それを見てると口元が緩んでくる。
その視線がめちゃめちゃ懐かしい。あっという間に、ちっちゃいころのトキヤの部屋に戻ったみたいな気がする。
顔がふにゃりと緩むまま、下からトキヤの顔をじっと見上げた。


「えへへ、トキヤ、変わってない。喜ぶより驚くより、真っ先に俺のこと心配してくれるなんて」


そんなことを言われるなんて思ってなかったんだろうか。トキヤの顔が一瞬うっと固まって、さらに口元がへの字にひんまがった。
乱暴に俺の手のほうきとちりとりを奪い取ると、むっとした顔のまましゃがみこんで破片をまとめだした。
大きいかけらは手で注意深く、小さい破片は丁寧にほうきの先で。俺が適当に集めてた欠片があっという間にまとまってちりとりの中に収められる。
視線は欠片を見つめながら、トキヤがはあっとまたため息をついた。


「あなたも、残念なくらい変わっていませんね。驚く時にぽかんを口を開けるところも、目に見えるごみだけ片付けようとする掃除が下手なところも、感情に押し流されて危険など少しも顧みないところも、何も」
「残念なくらいって……。そんなこと言うなよぉ」
「大変申し訳ありませんが事実です」
「そんなぁ」


そんなに変わってないかな、俺。こう見えてもそれなりにしっかりしてきたと思うんだけどな?自分では。
まあ、掃除はそんなに上手じゃないかもしれないけどさ。きっちり塵一つ残さず集められた破片を見つめる。
…いや、でも。俺も変わってないかもしれないけど。トキヤだって。
むっつり怒りながら、「本当に仕方ありませんね」って言いながら俺の事助けてくれる。それって昔と何にも変わってないんじゃない?
俺が転んだりぶつかったりしてわんわん泣いてた時、「またですか」とかなんとか言いながらいっつも手を伸ばして助けてくれてた。なんだ。今と、おんなじじゃん。
相変わらずへの字口の横顔が昔のトキヤに重なって、思わずぷっと吹き出してしまった。


「ふ、あは、あはは」
「なんです」
「あーごめん、むっとしないで。そういうところも変わってないなって、ちょっと嬉しくなっただけ。でも、口とか態度だと厳しいこと言うのに本当は優しいところも、昔と同じだ」


ますますトキヤが不機嫌そうな顔になる。「危険物」ってマジックで書いた紙袋を差し出したら、無言でそれに欠片をざざっと流し込んだ。
下を向いて、袋の口を縛る顔はよく見えない。いっそう低い早口でぶつぶつ文句を言われる。


「そんなことは決してありません。どこかのバカを放っておけない程度には人間ができているだけです」


むっつりしたしかめっ面のトキヤがぎゅぎゅっと袋の口を縛る。そんなにきつくしなくても大丈夫そうだけどな。
箒をその手から受け取って壁に立てかける。おー、すっかり綺麗になっちゃった。完了完了。

ふふ、なんか今の「バカ」って言い方、すっごい懐かしいな。
知らない人が聞いたらびっくりしちゃうかもしれないくらいきつい感じだけど、なんかそれを聞いただけで懐かしい記憶がぶわっと蘇ってきた。
俺が転んで血を出しちゃった時とか、一人で迷子になって泣いてたらトキヤが見つけてくれた時とか、うっかり藪で蜂の巣に触って刺された時とか。やっぱり同じ調子で「バカ」って言われたっけ。
でもトキヤがそうやって「バカですね」って早口で言う時、ほんとはトキヤの方がどきどきしてたりするんだ。絶対そんなこと自分では口に出さないけど。





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