短編

□dolcementeな魔法
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大体その日はどうにも巡り合わせが悪かった。

まず朝の目覚めがすっきりしない。いつもなら朝日が差し込めばすんなりと開くはずの瞳がいつまでも重い。
夕べ見た夢の残滓が残っているようで気分が悪かった。
朝食はいつものように自分で作ったけれども、納得の行く出来ではなかった。どこかぼんやりとした味で、十分な満足感が得られない。

そんなときに限って家からは面倒な連絡が入る。
親族一同が会しての食事が急遽決まったから必ず参加するように、とのこと。
その日は学校の課題の提出日で、などと言えるはずも無い。いつものようにそれは絶対の命令だった。
結局、こうして家を出ても何も自由になりはしないのは変わらない。檻に入っていたのが、ちょっと長めの鎖に変わっただけ。
諦めも通り越したようなため息が漏れる。

学校に行ったら行ったで調子が出ない。
歌唱の小テストでは月宮先生に首をひねられ、パートナーとの練習でもも思うように声が伸びない。普段なら楽に出せるはずの音域が妙に喉に絡む。
そもそもの調子が良くないのに加え、家の用事で課題の提出そのものが出来なくなると分かってしまっては二人とも気持ちが入らない。
結局、練習もいつもより早めに切り上げる羽目になった。






「……はぁ」


散策でもしてみれば気が晴れるかと中庭を歩いてみる。
いつもより早いとはいえ、冬の日は気付けばもう傾いている。間もなく夕闇に呑まれそうな薄暗い木立の間にゆっくりと足を進めた。
枝の色が暗いせいで気付かなかったけれど、あちこち小道の傍らから尖った茨が枝を伸ばしている。
あっ、と思ったときにはもう遅く、右の頬を茨が捉えて鋭い痛みが走った。

「っ!……つっ……」

じくじくと痛む右頬を触ってみる。夕闇の中で手に微かに付いた赤黒い色。
たいした傷ではない。出血もすぐに止まってしまうだろう。
しかしその日一日の悪い巡り会わせを締めくくるかのような不快な痛みに、我知らず眉間に皺が寄った。
本当に、今日は運に見放されているらしい。

ふと、柔らかい記憶が蘇る。
遠い遠い昔、こんなふうに自分が怪我をしてしまった時。兄のように慕っていた存在が教えてくれたおまじない。
『すごいおまじないを教えてあげようか』
そう囁く透き通った声がすぐ傍で聞こえたような気がして、思わず後ろを振り返った。

声の主が、そこにいるはずもないのに。




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