華信(仮)

□第十五話 ──ゼン完結
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 春が訪れると、チナの元へ歩んだ。
 あれきりずっと、ジュウの元から逃げることはなかった。
 躯も心も乾き切っていた。何をしても心に大きく空いた穴は埋まることを知らない。


「……チナ」

 荷をつくるチナに、後ろから声をかける。
 一拍の間をおいて、チナが変わらずの笑顔で振り向いた。

「……着崩れくらい、直しなよ」
「チナ、行かなくてもいいんだ」


 ゼンの気持ちは不思議でいっぱいだった。
 ジュウの願いは叶ったのだから、チナが遊里へ向かうことなどしなくてよい。
 それなのに、当の本人は小さく首を振るばかりで、一向にゼンの言うことを聞かなかった。


「……ええよ、私が居たら、ジュウ様の気が散る」
「それでお前が心を散らすことはない」


 ふふ、とチナが悲しい笑みを浮かべる。


「よく兄様も言っていた……」

 ──兄様。
 チナからその呼称を聞くたびに、胸の奥がきり、と痛む。


「……そのことだけど」
「……戦?」
「ああ」

 なら、とチナは腰を起こしゼンの目前に寄った。
 からっぽの心が反応するのは、チナを目の前にしたときだけだった。
 小さな火が灯るように、胸があたたかくなる。


「ちょうどええ。遊郭なら何も関わらん」

 目をそらし、ぎゅうと瞼をとじた。
 なぜ、残ろうとしてくれないのだろう。


「だから……」
「それ以上言わんで」


 唇にそっと指を添えた。
 お互いの息がかかるほど近く。
 耐えきれず唇を合わせた。
 腕が知らずと背へ回る。

 チナの小さな肩が、少し震えていた。

 何度も聞いた。

「それでいいのか」と。

 チナは深く頷く。
 理解ができなかった。
 けれどわかることがあった。

 チナはきっと、自分の為にそう言っているのだ、と。

 このまま遠目でしか想いを馳せられないのなら、居るも居ないも同然で。
 ジュウと共に時を過ごしても、ジュウの気持ちはチナへの嫉妬心へと変わってばかり。

 けれどこのままでお互いに救われるとは到底思えない。

 何度も聞いた。
 それでも、チナは深く頷いた。


「必ず……必ず迎えに」

 ──言いたくなかった。
 そのような言葉は、保障できる言葉でも、確かな約束にも満たない。

 わかっているのだろう、わかっているのに、どうしてそのような切ない顔を残すのか。


「来てくれるん? ほんに、来てくれるん」


 互いに、わかっていた。
 すぐに切れてしまうような、弱い誓いだと。

 けれども、躯抱く強さだけ、心だけ、チナの身に込めた。


 椿の香りを、思い出さなくてもいいほどに。
 これ以上、傷つけない為に。
 誰かを傷つけるのは、もうこれだけに。

 初めて、強く誓い、進んでいくことだと思えた。


 二人の抱擁を飾るかのごとく、降りもしなかった雪がちらちらと舞う。



 心が埋まったのはそれきり。


 これから向かう大きな闇に、チナは連れていけない。
 戦が終われば、新しい時代が訪れれば……。

 この躯が朽ち果てるまでに、もう一度チナを抱くことができれば。


 ──今は、それを願うだけでいい。

 ほどかれた糸はゆらり揺れ、あとは褪せていくだけだった。



≪ゼン、完結≫
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