華信(仮)
□第一話 生業の言ノ葉
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陽春を抱いた風に、梅の花が微かに揺れる。
躯ゆだねて風を受けとめると、少年はゆっくり瞼をとじた。
屯山(たむろざん)の里では、春の芽吹きを暖かな陽射しが照らしていた。
周り一帯が山々に囲まれているためか、常にひっそりとした雰囲気を醸すこの里も、春となれば華やかさが木々と同じに咲き乱れる。
麗しい色色を縁側でぼうっと眺めていた少年は、その華やかさが抱いてくる風に瞼をうすく開いては閉じた。
ふわりと降り立つ香りが誘う春眠に、足元は揺らぎすんでで転びそうになる。
何度も繰り返していると、間の抜けた音が辺りに通り良く響いた。
咄嗟に後ろを振り向くと、血管を浮かせた青年が腰に手をあてながら、呆れた様子でこちらを見つめていた。
「やることあんだろ」
もう一度、同じ音が響いたのを聞いてやっと、自分の頭が平手で叩かれていたのだと気づいた。
「さっさとやらねえと掘るぞ」
“掘るぞ”と言われれば他人からすると十分な脅しになるが、けれども少年は叩かれた頭を押さえ込んだまま動こうともしなかった。
何か言おうと口を開きかける。
すると青年が微かに眼を蠢かすから、少年は開いた口をそのままに、眼から逃げるようにしてその場を去った。
──千里の瞳。
瞳は五体を流れる血と同じほどに鮮やかな色を持ち、物事のすべてを見越すとされていた。
きっと、今つなごうとした言の葉も、それに乗せるつもりでいた情でさえも、あの瞳は軽く見通したことであろう。
そう思うと、襟をぎゅうとつかむことでしか耐えようがなかった。
屯の里の寮長を務めるヤジと自分の間には、明らかに隔たりができている。
幼い頃からいつでも野次を飛ばすものだから、制裁として名前を変えられた。
以降ずっと「ヤジ」で通っている。
端麗な容姿から、忍者間で最大の称号とされる三ツ星を取れるとまで噂されているが、ヤジは今年も三ツ星を申請するつもりはないようだった。
廊下で通りかかった幾人もの男女が、ヤジは遠征するのだ、と噂していたから間違いないだろう。
現に試験を受けるつもりなら、もう発たなければいけない頃なのに、当のヤジは荷もつくらずああしてやってきた。
首都音星の里以外の里出身者が三ツ星の称号を与えられるには、三月にわたる試験に受からなければならない。
生まれてから幾度か死にかけた試験や、実際に死人が出た試験もあっただろうに、どの忍者も「最も死に近い試験」と噂しているのだから、卑怯で勘定高いヤジが受けると、少年は思ってもいなかったが。
春風に髪がさらわれ、突風に舞った葉や花弁が土から一気に吹き上がる。
ヤジのことを考えながら、舞う花弁を追って眼がおよいだ。
自然、横向きになりながら歩くと、ぴんと張った糸らしきものに足が引っかかる。
花びらとは逆方向に倒れていく躯は、大きく板と奏でを放ち、いくら春といえど静かな屋敷に、轟音に似た物音が立った。