華信(仮)
□第十五話 ──ゼン完結
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右に左に。
左に、右に。
動きを見せる瞳は、何処を見つめているのかわからない。
ただただ、頭の先から落ちてくる嬌声のしぐれを聞くまいと耳を塞いでいた。
──俺にだけ。
よからぬ情が胸の内を渦巻いていく。
小さく息がもれた。指先が徐徐に冷たさを帯びていく。
──見せてくれると、見せたくないと……。
言葉を紡ぐだけで、答えを見つけるだけで、腹の底から冷気がこみ上げる。
わかってはならない、わかってしまったら……。
──俺だけを、想ってくれていると、思っていたのに…………。
からん、と小さく響いた音に、一瞬二人の声が途切れたように思えた。
ゼンは耐え切れずギンジの部屋を飛び出し、駆け足で廊下を渡った。
途中さまざまな事を思い廻るも、何処が現で何処が過去の事なのか、もはや感覚をなくしたようにみえた。
ひらり、と雪が舞い始めた頃。
自室に篭りひたすら文書の波に埋もれ、耳を塞ぐかのごとく、目を塞ぐかのごとく、文字の羅列に溺れた。
かすかな螺旋を描いては積もる雪のように。
埋もれてしまえればと、雪花のごとく、いつしか解けてしまえばと。
──耐え切れずにいた。
「……聞いていたのか」
あの晩、明朝になって来たのは、ジュウではなくギンジだった。
酷く着崩れた衣は、もはや着ていないも同然のようだ。
汗で濡れた銀髪をかきあげながら、自室に横になったまま返答しないゼンをじろりと見下す。
「んで? ジュウに嫌気でもさした? 誰にでも躯を許さねばらぬ、その業に」
だんっと足を踏む。
鈍く響くその足元から、ギンジの笑みが浮かんだ。
「妬いてる……そうや、妬いとる。お前は、俺の知らんジュウを幾つも知っとる! やけどな、俺かてお前の知らんジュウを幾つも知っとる」
言葉がほんの少し、詰まったような気がした。
苦しいのは、ギンジも同じなのだろうと、ゼンは密やかに胸をつかんだ。
「こうしてでしか……ジュウが俺を見ることはない」
あかん……と、ギンジが呟いた。
ふいに顔を上げると、ギンジは身を翻し出ていく。
ギンジが先ほど居た場所に、桜の花弁がいくつも散っていた。
自室から出てみると、ギンジの足跡のように桜がどこからともなく降り落ちている。
──ギンジ……。
桜の花弁をひとひら、手にとるとゼンは強く眼を閉じた。