華信(仮)
□第一話 生業の言ノ葉
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「……ゼン!」
──……ああ。
やってしまった、と深く後悔しながら、ゼンは倒れたまま腕で躯をおおった。
こんなところに、数秒で、この春の香りたつ中で、ありえるわけがないと思い込んでいた。
──絶対に、思ってはいけないことだったのに。
後悔の言葉を胸に落としながら、床を駆けてくる足音が小さく耳元に谺した。
さっき会ったばかりのヤジが駆けつけるのに、そう時間はかからない。
普段は誰も足音立てずに歩く床、足音が聞こえるということは、怒りを抱きやってきているに違いない。
襟元をぐっとつかまれて、造作もなくひょいと身をあげられた。
「なにやったんだあ? 言ってみろ」
赤い瞳はぎらぎらと怒り滾らせているように見える。
言葉を失ってうなだれるゼンをよそに、ヤジは突き当たってすぐの曲がり角へぐるりと項をまわした。
「ジュウ……!」
少女が角からこそっと顔半面を浮かばせ、こちらの様子をうかがっていた。
急かすようにヤジが左指の先をくいと手前に動かすと、ジュウと呼ばれた少女は指先ひとつにすら逆らえず、角から姿を現した。
しばしの沈黙が辺りを包む。
ゼンは睨むようにして立つジュウの姿に首を傾げ、同時にもつれる着物に手をかけた。
「……夜中、俺の部屋にこい」
ヤジにつるされたままのゼンは、その場から目を丸々として二人を交互に見やった。
これがもし、男色専攻に属していないヤジと、姿通り少女のジュウであったとしたならば、このように目を見張ることでもないのだろう。
しかしヤジは男色専攻であるし、少女のように優美で色香を持つジュウとて男。
女形専攻という割り振りに入っているのだ。
宵を二人で過ごすということの意味は、まだその辺りに疎いゼンであろうとわかる。
知らぬ間に眼はおよぎ、置き場所を失った。
「……いっておくが、俺は任務以外では男なぞ相手にしたくない」
あきれ果てた様子でため息を含み言われ、ゼンはようやくはっとし、やがて厭厭な顔をすると身体をぶらりとたらした。
「……心読むなよ」
「読まずとも見ていればわかる」
ゼンが小さく頬を膨らますのを見、ヤジはあげていた腕をすっとおろした。
また大きな音が一つ立つと、ヤジはそのままゼンの襟を引っ張りながら、突っ立ったままのジュウに振り返る。
「夜中、鐘のなる前に来い。いいな」
ジュウの頷きを確認しようともせず、ヤジは長廊を突き進んでいく。
風の音ひとつが大きく聞こえる閑静な屋敷に、ぼんやりと佇んだまま、遠くなる背を見つめる。
蕾をつけたばかりの桜が風に応えて身を揺らす。
その奏でを聞きながら、朱の紅をさした唇で、ジュウは自然と親指をかみ締めていた。