華信(仮)
□第八話 時線たどり
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おもむろに草を分け、大樹を目指し汗を拭う。
何度めかの拭いを終えた途端に右腕がふっと掴まれたのは、大樹を目前にしやっと一息つけると安堵していたところでだった。
不意に掴まれた右腕を即座に振り払い、左手を懐に差し入れて苦無を取り出す。
取り出してから投げるまでの時間は秒にも満たないが、振り返った先にいたその人物は、秒の行動を見事に避け切っていた。
艶やかな黒髪が熱風になびかされ、煌煌と光を放つ。
つぶらな瞳を見ればもう、息が止まったようにゼンはぴたりと動きを止めた。
暑さに火照った頬の赤、潤んだ唇に華奢な肩、やわらかな風貌から受ける相も変わらずの柳腰。
引き寄せるは椿の花。
初めて会ったときと変わらなく芳しく香った。
「……ごめんなさい」
「いや……」
謝られて咄嗟に懐に入れていた左手を脇に戻す。
目を伏せがちにして申し訳なさそうにするチナを見、居たたまれなくなり逃げるように大樹の下へと走った。
大きな木陰に入れば先ほどの炎暑はどこへやら、そよぐ風さえもすぐに心地の良いものへと変わる。
「あの」
息をつき、風に身体を横たえていたとき、急に澄んだ声と椿の香気が側にやってきたので、慌ててゼンは眼を見開いた。
チナが木陰に入り込み、中腰で覗き込むようにしてこちらを見つめている。
暑さからではない身体の火照りと、急激な心音の騒々しさに目が眩んだ。