竜の小説集

□連載予備軍短編集(恋姫)
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「申し上げます!」

「何事なの!?まさか……虎牢関が落ちたの!?」

礼も忘れて駆け込んで来た兵士の様子に、董卓軍の軍師である賈駆は、最悪の事態を予想する。

しかし、もたらされた報告はさらに最悪なものだった。

「十常侍が私兵と一部の兵士を集めてこちらに向かっています!」

「なんですって!?」

もともと、董卓を呼んだのは十常侍である。

しかし、董卓が悪人とされ、戦況が連合軍優勢に傾いた今、自らの保身のために董卓を捕らえようとしたのだ。

「詠ちゃん……」

賈駆の傍らの少女から、心配そうに声がかかる。

一見すれば身分の高い姫のように見える少女こそが、悪人に仕立て上げられた董卓なのだ。

「くっ……急いで虎牢関に使いを送りなさい!それと、できるだけ兵士を集めて!」

「は、はいっ!」

矢継ぎ早に出される指示に、兵士も慌てて部屋から出ていく。

「大丈夫よ月。ぼくが絶対に守るから」

「……ごめんね。私のせいで」

必死に自らを守ろと動く賈駆や、虎牢関で戦う者たちに申し訳なくなり、董卓から思わず謝りの言葉が出る。

「月が謝ることなんてない!悪いのは、十常侍と、連合軍のやつらなんだからっ!」

だが、それを賈駆は否定した。

そして、思う。

なぜこんなにも優しい子がこのようなめに合わなけれならないのかと。

と、その時。

「もっ、申し上げます!」

「今度は何っ!?」

再び駆け込んできた兵士に、賈駆は今度はどんな凶報かと問い掛ける。

だが、報告は予想だにしないものだった。

「十常侍が、集めた兵士もろとも討たれました!」

「なっ……どういうことなの!?今、動ける将軍なんて他にはいないはずよ!?」

有り得ない事態に混乱する賈駆に、兵士も信じられない様子で話す。

「そ、それが……十常侍を討ち取ったのは――」

「私だ」

「……嘘……」

兵士の言葉を遮って部屋に入って来た人物に、賈駆は呆然とする。

「皇甫嵩……将軍?」

清廉潔白にして公明正大。

百戦錬磨の名将であり、民衆からはその徳と共に謳われ、名を知らぬものはいない人物。

腐敗する漢王朝の中で、、権力争いや諸侯の争いには関与せず、ただひたすらに漢の臣下として忠義を尽くす忠臣。

「どうして、貴方が……」

辛うじて出た疑問に、皇甫嵩は表情を緩めて答えた。

「お主たちは洛陽に、劉協様に尽くしてくれた……それに応えただけのことだ。……後は任せよ」

ただそれだけの言葉に、賈駆は、自分たちが助かるかもしれないことを確信した。











連合軍との戦いも終わり―結果的には、皇甫嵩が途中で入って戦が終結した―洛陽に平穏な日常が戻った。

もちろん、大陸を見回せば平穏とはほど遠い状況にある。

河北の袁紹は公孫賛と戦端を開いているし、曹操は周辺の勢力を参加に納め、孫策は袁術を破って旧領も含めた揚州を手に入れた。

漢王朝の力は弱く、もはや乱世と言っても過言ではない。

しかし、洛陽はまったくもって平穏であり、都として威容を保ち、多くの人で賑わっている。

当然である。

何故なら洛陽には皇甫嵩とその直轄軍がおり、皇帝と洛陽を守護しているからだ。

その上、先の戦いでは董卓軍として参加していた呂布もいる。

力のある者さえ手を出すことを躊躇し、ただの賊なら近づくこともできないだろう。

そんな、大陸中にその武と名を響かせる二人は――

「…………」

「眠いのか?」

「ちょっと」

「そうか。なら寝なさい」

「……セキトも一緒にいい?」

「好きにしなさい」

――屋敷の縁側でひなたぼっこをしていた。

しかも、皇甫嵩が呂布にひざ枕をしているという、見る人が見たら驚愕するような光景である。

だが、これは二人からすれば当たり前のことに過ぎない。

「恋もセキトも、お父さんのひざ枕が一番好き」

「そういえば、昔からよくしていたな」

二人は義理とはいえ親子なのだから。

本来なら丁原の養子か董卓の養子になるはずだった呂布だが、なんの因果か皇甫嵩が数年前に呂布を拾ったのである。

皇甫嵩は純粋な呂布を可愛がり、呂布もまた皇甫嵩を父と呼んで懐いていた。

今日は、久々に親子水入らずで過ごしているのだ。

「お父さん」

「なんだ?」

皇甫嵩に頭をなでられ、目を細めながら、呂布は離れていた間のことを話す。

「月がいっぱいお菓子をくれた」

「それは良かったな。お礼は言ったか?」

「ちゃんと言った」

「そうか。偉いぞ」

「〇〇も」

「陛下もか……後で礼を申さねばな」

「ひざ枕してくれた」

「陛下がか?」

皇甫嵩の表情が僅かに驚きで崩れる。

皇帝である劉協にひざ枕をしてもらえるなど大陸ひろしと言えど呂布くらいだろう。

「ならばなおのこと礼を申さねばな。明日は陛下の元に行くぞ」

「……わかった」

眠気が増したのか、うとうとしながら返事をする呂布。

穏やかな空気が二人を包んでいた。










「あ、あの!」

今、賈駆という人物を知る者がこの光景を見たら口を揃えて言うだろう。

誰だこれはと。

常日頃から弱みを見せず、主であり幼なじみの董卓を守ることを何よりも優先する少女。

比較的に仲の良い者でさえ皮肉を口にされ、素直に感情を見せることなど滅多にない。

その賈駆が、ファンであるアイドルを目の前にしたようにどもり、恥ずかしそうにしている。

「どうした?」

「その……皇甫嵩将軍は、このあとお暇でしょうか?」

賈駆の態度と言葉が向けられている人物――皇甫嵩は、誘いに込められている感情に、驚きと困惑を抱いた。
















「……旨いな」

「本当ですか?良かったね。詠ちゃん。頑張っていれ――」

「月っ!そんなこと言わなくていいから!」

「ふむ。わざわざすまんな」

「……ぃ、いえ」

妙にぎこちない賈駆の誘いに応じた皇甫嵩を待っていたのは、董卓と机に並べられたお茶と菓子。

そして、勧めるままにお茶を飲むと、董卓はそれは賈駆が一生懸命いれたのだと説明をしだす。

幼なじみのことだからか、饒舌になる董卓に賈駆は慌てて止めようとするが、かえってそれを肯定する結果となり、消え入るように俯く。

さて、今更かもしれないが、賈駆は皇甫嵩に惚れている。

きっかけは、ベタではあるが助けられた時。

かっこいいとかそういうことで惚れたのではなく、頼りがいがあるということでだ。

そもそも、賈駆は董卓を守っているが、実は依存しているのは賈駆の方である。

自分を強く見せているのも、虚飾に過ぎず、ともすれば董卓の方が心が強いと言えるかもしれない。

そんな賈駆にとって、皇甫嵩という存在は、揺るがない大木のように安心感があった。

この人なら私も月も守ってくれる――

そう思ってしまうだけの力と実績を皇甫嵩は実際に持っているのだ。

本来の外史では賈駆は北郷一刀に惚れていたが、それも賈駆を包める心の大きさと、連合軍の標的であった自分たちを危険を省みず助けたからである。

一刀の場合は気安過ぎたり、董卓にまで手を出していたので反発が強かったが、皇甫嵩にはそれがない。

さらに言えば、賈駆は軍師としても皇甫嵩を評価していた。

尊敬していると言ってもいいかもしれない。

その結果が、どの外史でも見られないようなツンデレではない賈駆の誕生である。

もっとも、皇甫嵩は誰彼構わず手を出せる身分でも性格でもないし、歳が違うと自覚してるので、彼女の思いが通じるかは分からない。










二人の男女が話をしている。

しかし、男がひざまずいているので、端から見ても恋人の逢瀬ではない。

女は容姿からか、自身の生まれからくるものか高貴さが見てとれ、男は年月を経たものにしか出せぬ威厳を持っていた。

「……ご決断を」

「朕には……朕にはどうしたらよいのか分からぬ」

「思うままに道をお進み下さい。どんな道であろうとも、私はお傍におります。陛下」

陛下……そう呼ばれた女は、劉協はなんとも言えぬ表情で男を見つめる。

「…………そなたの命、私にくれまいか」

「この皇甫嵩、もとより身命は陛下に捧げております」

滅多に笑わぬ男の笑みに、彼女は不意に涙が溢れそうになった。

















赤く、紅く、朱く染まっていた。

常であれば荒野が、草原が広がっていた大地が。

そして、今この時も血の浸蝕が大地を染めていく。

ぶつかり合う二つの軍勢、無数の兵士。

一方が掲げる牙門旗は『曹』、もう一方は『劉』である。

だが、これは大陸の北を治める曹操の魏と、大陸の南西を治める劉備の蜀との戦いではない。

何故なら、大陸のほとんどはすでに魏が二国を降して統一したからである。

ではどこの『劉』なのか?

それは、後漢最後の皇帝劉協の旗であった。

「曹操よ!大陸を制した覇王よ!未来を担うべきは漢か魏か……今こそ雌雄を決せん!」

「来られるがよい!我が魏の精鋭の、魏武の力を見せてみせよう!兵士たちよ!これを最後の戦にするのだ!」

『オオオオォォォォ!!!』

二人の言葉に兵士たちも全力を持って答える。

勝敗は天にすら読むことはできず、全てのものが勝利を信じて戦った。
















最後に明暗を分けたのは策でも戦術でも、力でもない。

純粋な数の差。

いくら準備をしようと、力を失った漢王朝では用意できる兵士に限界があったのだ。

拮抗していたのは皇甫嵩とその直轄の部隊がいたからである。

しかし、それも遂に終わりを迎えようとしていた。

「さすがは魏武の大剣。見事だ夏侯惇」

「皇甫嵩将軍。降伏なされよ」

「ほざけ。兵は倒れ、剣は折れた。されどまだ心は折れていない。我が身朽ちるまで、その歩み止まらぬと心得よ」

夏侯惇は己が一歩下がっていたことに気付いていない。

血を流しながらも進むその姿に、その覚悟に、忠義に、全てものが圧倒されていた。
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