竜の小説集

□連載予備軍短編集(恋姫以外)と過去拍手
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武田信繁――

武田信虎の子で、信玄の同母弟。

官職である左馬助の唐名(中国の官職に当て嵌めたもの)から典厩と呼ばれ、武田二十四将においては武田の副大将として位置づけられる。

幼少時は信虎に寵愛され、嫡男でないにも関わらず家督を継がせようと考えれたようだが、兄弟仲は問題なく、信頼されていた。

一門衆の筆頭であり、領地は持たず甲府に在住して外交や合戦の際に信玄の名代として先衆を統制する立場にあった。

第四次川中島の戦いにて戦死しており、信玄は信繁の遺体を抱いて号泣し、その死は上杉謙信からも惜しまれたという。

家臣団からも惜しみても尚惜しむべしと評され、信繁が生きていたら信玄の長男義信の謀反も起こらなかったと言われるほどである。

また、甲州法度之次第の原型と言われる武田信繁家家訓(99条)は江戸時代に武士の心得として広く読み継がれており、まことの武将と称えられた。

個人の能力としては教養があり、外交や調略なども行なっていることから軍師・副官タイプの武将ように思われるが、大将として戦や反乱の鎮圧を行なっており、武人としての素養もあったようである。

(参照:Wikipedia)




「幸村……」

「はい」

不敵な笑みを浮かべる主君に名を呼ばれた幸村は、その性根のように真っ直ぐに見つめて返事を返す。

「貴方も気づいていますね。この戦国の世の流れに」

「はっ。幕府にも朝廷にも日ノ本を纏める力はなく、今の世は力を持つものが全ての国を従える時代です。そして、その座に最も相応しき存在こそ、御館様だと」

甲斐の国の守護でしかなかった武田を全国に名を轟かす勢力へと成長させ、精鋭揃いの将たちを纏めあげる信玄こそ、天下人に相応しいと幸村は信じていた。

「そう思ってくれるのは嬉しく思いますが、その為には皆の力も必要なのですよ。もちろん、貴方の力もです」

「はいっ!お任せ下さい。それでは御館様。総攻撃の準備に取り掛かります。此度の戦、必ずや我が力で圧勝してみせます」

将として取立てるだけでなく、風林火山に続く雷の字を信頼の証として与えた信玄に応えるべく、思わず言葉に力の入る幸村だが、必要以上に力むその姿は若さ故の危なさが感じられた。

「幸村。一つ申しつけておきますが、功を焦らないように。其方は若い……。殲滅ばかりが勝利の意味とは決して解さぬことです」

「はっ……。しかし、戦場にあっては生を忘れて励むものとそう御館様に……」

信玄の真意を今ひとつ理解できない幸村に、先ほどからその場にいた人物が苦笑しながら諭す。

「勝ち過ぎもまた禍根を残すものにて候。まずは六分。欲を申さば七分の勝利を以って良しとすべし。これも御館様の言だぞ」

「典厩様……」

「信繁……」

二人が呼んだ名前は異なるが、両方とも一人の存在を指していた。

その人物――武田典厩信繁(たけだ てんきゅう のぶしげ)は一門衆の筆頭であり、信玄の実弟として軍務や政務を補佐する立場なのだが、今は幸村に向けていた苦笑を姉へと向けていた。

「そう睨まないで下され。これは教えた上で経験しなければ身につかぬこと。それに、此度の戦には私も参加しますので」

信繁の言葉に、信玄はならば仕方ないと頷く。

「では、幸村。この戦では万事、信繁の命に従いなさい」

「はいっ!」

幸村としても、信玄の実弟であり、家中の信を集める信繁に従うことに不満はなく、どこかの外史と異なり反発する要因はなかった。

「………………」

「………………」

「………………」

話が纏り、本来なら戦の仕度に行くのだが、幸村は動かない……いや、動けない。

上位の者から退出をするから待っているのでもなく、足が痺れているなど馬鹿げた理由でもない。

躊躇いながらも、その凛とした双眸を困惑させて声を発する。

「…………御館様」

「なんですか。幸村」

まだ何か聞きたいことがあるのかと、強まる信玄の視線に怯むが――単に邪魔するなと言っているようにもみえるが――聞かずにはいられなかった。

「…………どうして、典厩様の膝の上に座っているのでしょうか」

可憐な少女といっても過言ではない小柄な体躯を、胡座をかいた信繁の膝の上にあずけるその姿は傍から見ると兄に甘える妹に見えるのだが……。

「……何か問題がありますか?」

「いえ、その……」

甘えているのではなく、座ってあげているのです――そう眼で語る信玄に幸村はそれ以上言葉を重ねることはできそうになく、信玄同様に敬愛する信繁に助けを求める。

「て、典厩様……」

「ああー、うむ。幸村。先に戦の仕度をしておいてくれ」

「はいっ!では、失礼いたします」

信繁の言葉に、これ幸いと幸村はその場を辞す。

「…………姉上」

「嫌です」

史実同様……いや、史実以上に良好な姉弟仲であった。










甲斐の躑躅ヶ崎館――武田信玄の居城であり、四方を見渡すことができるその展望は、敵がどこからこようとも見ることができると同時に、戦に張り詰める緊張を和らげるように感じさせていた。

また、館の中には当主である信玄のこだわりなのか、見事な浴室がある。

現代でこそ当たり前の風呂も、戦国の世にあってはおいそれと入れるものではなく、金山による経済力と、信玄の数少ない贅沢の一つだからこそ実現していることである。

つまり、何が言いたいかというと――

「信繁様。痒いところはございませんか?」

「いや、良い気持ちだ……。だが、よいのか?」

「お気になさらないで下さいませ。私が望んでしていることですから」

――美人に背中を流してもらうことほど幸せはないということである。

信繁の鍛えられた背中を流しながら、“林の将”春日虎綱は僅かに頬を染めて答えた。

「農家の生まれであった私をお館様と信繁様に召抱えて頂き、居場所と使命を与えて頂いたことには本当に感謝しています。ですが、気付けば行き遅れで……こういうことに少し憧れを感じていたのです」

「そうか。だが、こんなことをされると勘違いしてしまいそうだな」

からかい交りに言われた言葉に、虎綱は武士とは思えぬほど女性らしくたおやかな手をわたわたとさせる。

「そんな。私は別にそのような下心があったわけではなく、純粋に憧れと、信繁様に対する感謝の気持ちとして――」

「ふふ、それは残念だ」

「うぅ……」

まるで下心があって欲しいと言わんばかりの信繁に、虎綱は恥ずかしそうに身を縮こませる。

「さて、そろそろ湯に浸かろうか」

「あ……では、私はこれで」

「何を言っている。虎綱も入るのだぞ」

「は、はい!?」

もともと赤くなっていた虎綱の顔が、まるでのぼせたように首まで赤く染まった。














「疲れが流れていくようだな」

「……はい」

湯殿は数人でも十分に寛げるように作られており、心地よさそうに体を伸ばす信繁の横で、虎綱も恥じらいながらも同様に体の力を抜いていく。

「む」

「あっ」

すると、互いに伸ばした手が当たり、虎綱は思わず引っ込めようとするが、信繁はそのまま手を掴み、引き寄せた。

「の、信繁様……」

「嫌か?」

「……いいえ」

いきなりのことに驚く虎綱だが、そのまま無駄のない鍛えられた信繁の胸に寄りかかるように体をあずける。

さらさらとした髪と、女性特有の柔らかくしっとりとした肌が心地よく、服装で普段は隠れている平均を大きく越えた胸が、ぐにゅぐにゅと形を変えていた。

「………………」

「………………」

無言のまま、ただただ時が過ぎてゆく。

その静寂さに苦痛はなく、ぬくもりを通して信繁は虎綱を、虎綱は信繁を感じていた。

故に、外からの些細な物音に気付くことができなかった。

「おや、二人とも仲が良いことですね」

「姉上!?」

「お、おお館様!?」

二人からすれば突然信玄が現れたように感じられ、慌てて湯殿の中で姿勢を正す。

一方で、信玄はというと、弟を驚かせるつもりで来たみれば部下と二人で湯殿に入っている姿を見せつけられ、笑みを浮かべてはいるが、内心では盛大に拗ねていた。

もっとも、ここで怒って帰らずに、負けないとばかりに湯殿に入っていくのが信玄らしいと言えた。

「わ……」

虎綱の口から、思わず素の声が漏れ出る。

湯殿に入ってきた信玄は、さも当然とばかりに、信繁の足と足の間に身を滑らせていき、頭を胸にあずける形で寄りかかった。

普段から姉弟仲は良好であり、信玄が信繁に甘えている節はあったが、ここまで露骨なものを見たのは初めてであった。

「迂闊に動かないで下さいよ。姉上」

「迂闊に動けないのは信繁でしょう。虎綱もそう思いませんか」

「は、いえ……私は……」

目のやり場に困っているのかしどろもどろしている虎綱と、姉に隠れてこんなことをしていた弟に対して、信玄は悪戯心を浮かべた表情をして、囁いた。

「だって、信繁……元気になっていますよ?」
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