text (その他)

□November rain
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 「幾松殿…?」


 名前を呼ばれた事を、頭の奥の方でぼんやりと感じた。

 のろのろと顔を上げれば、目の前にはよく見知った長髪男。今日も変わらず長く綺麗な髪を、無造作に放置している。ただ、少しだけいつもと違うのは、切れ長の目が、信じられないとでも言うように限界ギリギリまで見開かれている事。


 「な、何をやっているんだ…!?」


 少し焦った様なその声を聞いてすぐ、耳障りな音が周りに響きだした。


 「自分が今何をしてるのか分かっているのか!?こんな雨の中、傘もささず…」


 怒気をはらんだ声も、辺りに響く騒音のせいで聞こえずらい。普段あまり感情を表に出さないはずなのに、その顔にはありありと怒りの感情が見てとれた。眉を吊り上げたまま、不自然に伸ばされた彼の腕。

 あ…、傘…

 さっきから響く音は、彼が差し出した傘に雨が当たる音だったのか。今更自分がびしょ濡れな事に気がついた。


 「……何かあったのか…?」


 何の反応も示さない私を、不審に思ったのか、彼は心配そうに私の顔を覗き込む。私は、ただじっと彼の瞳を見つめるだけで、肯定も否定もしなかった。


 「…とにかく、今は暖かい所に。そんな格好では風邪を引いてしまう…」


 私からの返事を諦めたのか、そう言うと私の手を取って歩き始めようとする。私はその手を引っ張って、小さく首を横に振った。


 「幾松殿…?」
 「今日ね…、あの人の…命日なの…」


 私の手を握る暖かな手が、ピクリと動いた。


 「ここ…、この公園のベンチで…、いつも待ち合わせをしたの。晴れの日も、風の日も、雨の日も…。だから…」


 もしかしたら、またあの時みたいに来てくれるんじゃないかって…


 「バカみたいよね…」


 自嘲気味た囁きは、激しく降り続ける雨の音に遮られ、2人きりの公園に消えていった。

 彼も私も、何も話さない。最初に沈黙に堪えきれなくなったのは私の方だった。


 「ねぇ、もう、大丈夫だから…」


 沈黙を続けていた彼は、ずっと握っていた私の手に、優しく、けれどあがらえない力で自分の傘を握らせた。そして、自分の羽織を私にかけると、そっと耳元でつぶやいた。


 「もう帰ろう、幾松殿。風邪を引いてしまう…」


 彼の低く優しい声が身体中に響く。逆らうこともできず、彼の手に引かれるように立ち上がった。

 素直に立ち上がった私から、さっき握らせたばかりの傘を取り上げ、ほとんど私に傾けたまま、私が歩き出すのを待っている。

 なんだか顔を見られるのが急に恥ずかしくなって、視線を手元に移した。

 その拍子に、ふと、目に映ったのは、荒れた自分の手で鈍く光る、シルバーリング。

 その瞬間、周りのもの、全てがクリアになった。地面に激しく叩きつける雨の音、雨を防ぐ傘の音、2人の息づかい、水気を含んだ漆黒の髪に、優しく見つめる2つの瞳。


 「…大丈夫。傘なら…、あるから……」


 差し掛けられた傘を押し返した。彼の戸惑いが、空気を通して伝わってくる。

 こんな大嘘、子供にだってバレる。笑っちゃうくらい下手な嘘。けどきっと、アンタなら…


 「大丈夫。傘ならある」


 そう言ってもう一度、私に傘を握らせ、綺麗な長髪は、視界から消えた。


 「ぁ…っ」


 呼び止めようとして、押しとどまった。ここで名前を呼んでしまったら、無理矢理突き放した意味がなくなってしまう。彼ならきっと、私の自分勝手な嘘に騙されてくれると確信していたんだから。



 あのね、今日はあの人の命日なの。だから私は、あの人といつも待ち合わせしたこの公園のベンチに座ってた。もしかしたら、またあの時みたいに、遅刻して、苦笑いしながらあの人が来てくれるんじゃないかって…

 雨が降りだしたのも、本当は気づいてたし、自分がびしょ濡れな事も分かってた。それでも私は、あの人を待って座ってた。


 けど、やって来たのはアンタだった。




 その時何を思ったかなんて。

 絶対に現れない事なんか、百も承知であの人を待っていたくせに。


 嬉しい、だなんて……


 自分のバカさ加減に、ほとほと嫌気が差した。

 今でもずっと、あの人を愛していて、他の人と一緒になる事なんか、考えられやしないのに。結局、あの人以外、いらないのに。

 それでもどこかで、彼が私を見つけてくれる事を期待してた。

 これは甘えだ。

 あの時、指輪が目に留まったのは、警告だったのかもしれない。もう、これ以上彼の優しさに甘えるなと。このままでは、お互い傷つくだけなのだと。

 あの人が、教えてくれたのかもしれない。


 風が吹き抜け、なびいた羽織から、落ち着く香りがした。

 もう、あの人の香りは思い出せない。いつの間にか、落ち着く香りは、彼のものとなってしまった。


 ねぇ、もう、これで終わりにするから…


 だからお願い、これだけは。

 傘と羽織を返してもらいに、彼が暖簾をくぐるのを待つ事だけは。



 仕方のない事と、笑って許して―――










《November rain》
涙に想いが混ざって
雨が流してくれればいいのに















めちゃくちゃ暗いですね…

幾松さんは、この先もずっと、旦那さんの事を想っていくんだろうなと思います

だから、桂の事ですごく悩むんじゃないかなぁ、って思って浮かんだ話。

乙女心は複雑だからね!!←



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